そんなにさ、しゃべんなくたって、伝わることもあるだろ。
僕は、死ぬように生きていたくはない。
と中村一義さんが歌うのを聴きながら、ウガンダ行きの飛行機に乗っていた吉田です。
8月16日~29日までウガンダワークキャンプに行ってきまして。
今年は当機構が支援しているナマスンビ村に滞在しました。
そこで学校の先生たちが生活するための教師寮の建設をお手伝いさせていただいたわけです。
なぜ、教師寮が必要かといいますと。
ウガンダの学校では教師寮があることが一つのステータスのようになっておりまして、
教師寮がある学校に先生は集まるわけです。
意欲の高い良い先生が学校に来れば、その学校の教育レベルが上がり、子どもたちも変わります。
つまり、将来を担う子どもたちが良い教育を受けることで、将来のコミュニティ変革につながるわけです。
そんなわけで、私たちワークキャンプチームは、それはそれは頑張りまくりました。
5日間という限られた時間でしたが、朝早くから夕方頃まで一生懸命建設作業に励みました。
最初は地元の大工さんと私たちワークメンバーくらいしかいなかったのですが、
時間が経つにつれて、村の子どもたちや親たちが手伝ってくれるようになりまして。
水汲みから始まり、セメントをつくり、
地面を掘っては土を運んで、レンガを運びに運んで。
日本の建設現場では、体験できないことだらけでした。
蛇口をひねれば水を好きなだけ得ることができる日本とは違い、
ジェリカンと呼ばれる水入れを井戸まで持って行き、ポンプを押しに押して、
ジェリカンに水を満たし、それらを建設現場までひたすら運びまくり。
それを使ってセメントをつくるわけですが、
コンクリートミキサー車のようなものはもちろんあるわけもなく、
砂と砂利とセメント粉をシャベルで混ぜに混ぜ。
セメントもレンガも土も、バケツリレー方式で隣から隣へ渡していくという完全なる手作業の連続です。
作業中は、赤道直下の日差しを浴びながら、
「ガンバレ、ガンバレー」と互いに励まし、
「ウェバレー、ウェバレー」(意味:ありがとう)と応答し、
「ウンコ、イエー」(意味:疲れた)と叫びながら、
機械に頼らず、奇怪に動きまくる機会となったわけです。
現地の人とは日常の挨拶や簡単な言葉を交わす程度でした。
しかしながら、そんなにしゃべんなくたって、伝わることもあったわけで。
コミュニケーションは言葉ではなく、
伝えたいことがあるということを伝える姿勢と、
それを受け止める笑顔で成立するのだろうなと感じました。
そして、その姿勢と笑顔の根本にはきっと愛があるわけで。
【写真:5日後の建設現場の様子、残りの作業は現地の人たちが数か月かけて完成させて下さるそうです】
日本に帰って、朝ごとにナマスンビ村の人々のために祈る時、
今日もつながっていることを実感する毎日であります。
『そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。
愛は結びの帯として完全なものです。』
(聖書 コロサイ3:14)