ハンガーゼロ アフリカ」とは

田村 治郎

2012年05月13日

「母の日」に、そして「父の日」に思うこと。

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毎年5月になると、この日本を含め世界の多くの国々で母の日が盛大に祝われます。筆者も小学校のころに、母の似顔絵や感謝カードを手作りし、赤いカーネーション1本を大事に抱えて『お母さんありがとう!』のことばを添えて送ったことが思い出されます。今、自分が親になって子どもたちが同じように感謝の心を表している姿に、子育てには苦労も伴うものですが、親であることに喜びを感じます。

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母の日は、1900年代のアメリカヴァージニア州が起源といわれています。190559日、アン・ジャービスという人が亡くなられました。彼女は南北戦争中に「母の仕事の日(Mothers Day Work Club)」と称して、敵味方を問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させるなど、その時代の人々の必要に積極的に応え貢献された人物です。その娘のアンナが亡き母の働きに敬意を表し追悼したいという想いから、1908510日、自分が通うフィラデルフィアの教会で白いカーネーションを教会の人々に配りました。これがアメリカで初めて行われた母の日と言われています。

この行為が大きな感動を呼び、アメリカのほとんどの州に広まり、そして1914年、当時のウイルソン大統領が5月の第二日曜日を母の日と制定しました。誰に対してもわけ隔てなく愛を注ぐ母の姿に、自分の生き方の模範を見出したのではないでしょうか。

 

 

このように、ことの始まりをひも解いてゆくと、母の日が母への感謝の思いを表すということのみならず、アンがそうであったように、親の生き方を見て自分の生き方そのものも培われてゆくことにつながるのだと感じます。それも家族に対してのみならず、公の世界で貢献する姿に感化されていることに考えされられます。親の立場からすると、子どもたちにとって良い親のみならず、親の仕事に取り組む姿勢や地域の必要に貢献する生き方を見て子どもたちが、「お母さんやお父さんのような人間になりたい!」と思える生き方を子供たちに示せているか、問われる思いです。

 

 

仕事柄、開発途上国と呼ばれる国々に行かせていただく機会が多くあります。数年前、アフリカのエチオピアでの活動地を訪問しました。そこは首都から遠く離れた貧しい村です。その村の村長さんの家族とお茶をいただきながら村人の生活の状況や困窮している事柄など、生活の必要をうかがっている時です。8才になる長男が将来の夢を語ってくれました。「ぼくはお父さんのように上手に牛を操って畑仕事をやりたい。そしてお父さんのように村長になって村の人たちを助けたい」と目を輝かせて話してくれました。土にまみれ汗を流し、2頭の牛にくびきをかけて手際良く畑を耕す父の姿、村の開発のために懸命に村人と働くその姿をこの子はどれほど羨望の眼で見つめていたのでしょう。

 

 

聖書の中にイエス・キリストのことばとして『受けるよりも与えるほうが幸いです』(使徒2035節)と記されています。

自分たち家族の幸せのためには、貪欲にあらゆるものを勝ち取ってゆくが、周りの人々の必要には関心を寄せない。そんな身勝手な生き方ではなく、どうしたら弱い立場や痛む状況におられる方々と共に生きることができるか。自分の持てるものを分かち合うことで生かされる人がいる。イエス・キリストが自分の命という最も大切なものを罪深い私たちのために投げ出され十字架で死なれたように、人が生かされるために自分にできること、それを喜ぶ生き方、それが子どもたちに受け継がせているだろうか。

 

 

母の日、父の日は、感謝され祝われるものとしてだけではなく、何を子どもたちに残せるか、そんなことをしっかりと考える時でありたいと願います。

 

 

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