フィリピン 一覧

2023年08月02日

支援終了を喜び合えるコミュニティ開発(VOC)


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2023年6月18日〜23日、ハンガーゼロのフィリピンにおけるパートナー団体の1つであるハンズ・オブ・ラブ・フィリピン(HOLPFI)の活動地を訪ねました。

 今回の訪問の目的は、7年間(関係作りを入れると9年間)支援してきたHOLPFIの手を離れて、アルサビ村のリーダーたちが地域変革を進めていくという区切りのお祝いに出席することでした。式典は村の入り口にある教会の会堂で行われました。アルサビ村を管轄するフォツナ町の町長さんが町会議員全員と参加してくださりお祝いの言葉を述べられました。私もハンガーゼロを通して支えてくださっている支援者の皆さんを代表して、お祝いと励ましの言葉を述べさせて頂きました。これまでのアルサビ(旧マイ)村とHOLPFIの歩みを振り返る動画が流され、功績のあった方々やリーダーたちが表彰されました。続いてリーダーのあるべき姿を教えるために弟子たちの足を洗ったイエスの模範に倣い、代表を務めている酒井保(ハンガーゼロ派遣職員)をはじめとするHOLPFIの皆さんやハンガーゼロの代表として私が村のリーダーたちの足を洗い、その後、リーダーが村の若者や弱い立場の方々の足を洗いました。また教会の賛美チーム、村人たち、HOLPFIのスタッフなどの歌が披露され、会堂に入りきれないほどの村人が集まりました。


祝い食事会の中で住民の宣誓文を披露
 式典の後は、お祝いの食事会です。ハンガーゼロとHOLPFIから豚とスイカをお祝いとして差し入れし、村のリーダーとHOLPFIのスタッフが朝早くから200人分の食事の準備をしてきました。豚が食べられるのは、1年に1度あるかないかの大ご馳走です。村人たちは大人も子どももお皿やバナナの葉っぱを持って大行列を作りました。食事が済むと、集まった村人たちの前でリーダーが「これからも様々な資源を活用し、主体的にコミュニティ開発を進めていきます」という内容の宣誓文を読み上げ、リーダーたちをはじめとする村人が次々と宣誓文が書かれたバナーに署名(表紙写真参照)していきました。その後はくじ引きでプレゼントをもらったり、聖書クイズやゲームをして楽しいひとときを過ごしました。

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住民主体(VOC)らしさが着実に浸透
HOLPFI食事会.jpg 今回の訪問で印象的だったのは、HOLPFIスタッフと村人の間に「与える者と受ける者」という一方通行ではない、良い関係が築かれていると感じられたことでした。それは、アルサビ村の人たちから「支援者」の訪問を歓迎する歌や踊りの派手な出迎えがなかったこと、スタッフや私たちの食事のために里芋などの農作物が届けられたこと、またHOLPFIがマイ村に通いだした頃には、高床式の家を建ててくれたと聞いたことなどから感じ取れました。この9年間HOLPFIが行ってきた、住民が主体となるコミュニティ開発であるビジョン・オブ・コミュニティ(VOC)の成果が、すごく自然な形で表れているのを見ることができ、とても感謝しました。
 最初に取り組むべき課題として住民が子どもの教育を挙げ、リーダーが熱心に粘り強く小学校の誘致に動いたことも今に大きな影響を与えています。こんな辺境の地では、嫌々送られてきた教師が、任期が終わるや否や町に戻ってしまうのが常ですが、今アルサビ村にいる先生は、任期が終わった後、志願して来てくれたと聞きました。3~6年生を担当している男性の先生2人はとても明るく元気で、授業以外の時もいつも子どもたちと過ごしていました。
以前、村の人たちが総出で建てた校舎の裏には菜園ができていて、先生が生徒と野菜の世話をしていました。先生の一人は、住民が家の庭にバナナの木を植えたり花を植えたり、HOLPFIが来て生活が少しずつ文化的になってきていると嬉しそうに語っていました。学校で学んでくる子どもたちを通して、家族も村の生活も少しずつ変化していっているようでした。

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教師と保護者が話し合って課題解決

 HOLPFI酒井慶子さん.jpg市の予算がついて建てられた新校舎で9月から授業が行われると聞きましたが、机や椅子はもう3年も要請しているのに行政から回答がないので先生と保護者が話し合い、周りにある資源を使って各家庭で椅子を作り子どもたちに持たせることに決めたそうです。
 今後、中学・高校へと進学する子どもの教育費のために生計の安定をはかることや、村人の栄養状態の改善も必要です。自治会や教会の役員、学校の先生などアルサビ村の様々なリーダーたちが協力して課題を認識し、活用できる資源を見つけ、自分たちが描く未来の姿(ビジョン)に向かって進んでいくとともに周りの村を手助けし、持続可能な変革が広がっていくように願っています。
 HOLPFIのスタッフはこれから、アルサビ村のフォローアップをしつつ、新たに関わっていく村を特定するための調査と関係作りを続けていきます。アルサビ村の今の姿の裏には、HOLPFIの皆さんの献身的な働きがあります。今回のアルサビ村訪問で「人への投資こそが持続可能な変化を生む」ということを改めて確認した思いがします。
(報告:海外事業部 浅野陽子)

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2023年06月09日

白鞘慧海ハンガーゼロ親善大使フィリピン視察報告


報告:ハンガーゼロ親善大使 白鞘慧海(しらさや・えみ)

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3月9日〜17日、ハンガーゼロ親善大使として初の海外訪問の機会を頂き、フィリピンのマニラとミンドロ島に行って参りました。日本から同行して下さったのは、ハンガーゼロの田村スタッフ、ジェロムスタッフ、夫の谷口牧師。事前に田村スタッフからフィリピン支援、現状などのレクチャーを受け、期待と緊張が入り混じった思いで、9日夜、関西空港からフィリピンへと飛び立ちました。



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人々を未来につなぐHOLPFI


パラニャケで感じた人々の「生きる底力」


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 深夜、マニラに到着し、ハンズ・オブ・ラブ・フィリピン(HOLPFI)の酒井保スタッフと合流。数時間の休息の後、翌日早朝から、マニラ首都圏のパラニャケにあるアーバンプア地域へ赴きました。この地域に住む人々の多くは、ペットボトルやプラスチック製品などのゴミを集め、それらを売って生計を立てているとのことで、見せて頂いた家の中にも集められた物が所狭しと置かれていました。全体的に匂いも強烈で、汗ばむ気候と混じり合い、息苦しさを覚えるような環境ではありましたが、そんな中にあっても皆、悲壮感など全くなく、誰もが笑顔で生き生きしていて「生きる底力」がみなぎっていました。私が今まで写真や動画で見てきたような2次元の景色だけではない、彼らのリアルな生活を立体的に肌で感じることができ、逆にエネルギーをもらったような貴重な体験でした。

 「SPECS」という子どものためのプログラムにも参加させて頂き、聖書のお話を聞いた子どもたちが、先生の質問に元気に答えたり、賛美に合わせてダンスをしたり、一緒におやつを食べたり、次世代への教育が活発に行われる場面も見ることができ、先生や子どもたちの笑顔にも癒される豊かな時間となりました。

 11日からミンドロ島へ渡り、日曜は、Jesus Christ Calapan Churchにて特別賛美を捧げさせて頂きました。賛美を聴いて涙される方もおられ、皆様の癒しや励ましとなれたことを感謝します。


ジャングルと川を超えてアルサビに向かう


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 そしていよいよ、13日からHOLPFIが大きく関わっている地域の一つ、アルサビ村(以前のマイ村)に入っていきます。人口約220人、世帯数は約60、マンヤンと呼ばれるミンドロ島原住民、タウブイッド族の方々が暮らしている村です。事前の説明では、この村に入るためには数時間ジャングルを歩き、川の中を何度も歩いて渡るとのことだったので、靴や服、帽子、手袋、サングラスなど、様々な物を用意、装備して村に向かいました。HOLPFIのスタッフ5名、荷物を運んで下さる村の方々も10名程加わり、約1時間半の行程を皆で大移動。結局、川は21回渡りました!


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村の教会と学校でゴスペルを歌う


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 村の方々は、もともと戦いを好まない部族とのことで、皆さん穏やかでシャイな方々でした。村に入ると、まず教会が見えてきます。殆どがキリスト教徒で、毎日、朝と夕方に礼拝を捧げているとのこと。私も参加し自己紹介したところ、歌って欲しいということになり、急遽、賛美をすることになりました。村には電気が通っておらず、ピアノもないので、殆どアカペラで歌うような形になりましたが、それでも皆さん喜んで下さいました。

 村の奥に進むと少し高台になっていて、教室が2棟建っており(3棟目建設中)、昼間は子どもたちの元気な笑い声や歌声が聞こえてきます。先生から「子どもたちに何か歌を教えて欲しい」という依頼を受け、「This Little Light Of Mine」というゴスペルでよく歌う曲を、振付きで子どもたちに覚えてもらって一緒に歌いました。最初は皆、とても恥ずかしそうにしていましたが、だんだん慣れてくると、声も振りも大きくなり、最後には一緒に手を広げてジャンプしてくれて、ジャンプする度に大きな声で笑ってくれました。心から楽しんでくれたようで嬉しかったです。その後、私が歌を教えてそれで終わりかと思っていたら、なんと、その子たちがお返しの歌を歌ってくれたのです。しかもオリジナルソングを!すごく綺麗なメロディと言葉で、涙が出ました。「神様はあなたのために天国におうちを用意してくれているよ」という意味の曲なのだそうです。


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HOLPFIの子ども教育支援


 HOLPFIは、食料、物資の一時的支援だけではなく、そのコミュニティからリーダーが輩出され、人々それぞれの潜在能力が発揮されていくような長期的支援を行っています。子どもたちの教育はその大きな基であり、奨学金制度を設けて彼らの未来を支えています。このアルサビの子どもたちも将来、村のリーダーとなり、更にはフィリピンのリーダー、世界のリーダーとなっていくかもしれません。今回、酒井保スタッフと共に、最初からずっと私たちを細やかにサポートしてくれた、アネススタッフも実は、以前支援された村の出身だそうで、奨学金を受けて大学を卒業し、現在HOLPFIスタッフとして大きな役割を担われています。支援の実が結ばれているその証を見ることができました。

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ハンガーゼロサポーター(継続と一時支援)になって、ハンズ・オブ・ラブ・フィリピンの活動を応援してください!

こちらからhttps://www.hungerzero.jp


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2023年05月10日

西南学院大学フィリピン海外研修②


私たちのこぼれ話.jpg 日本人以上にお米を食べる!
許斐彩良 外国語学部外国語学科 S許斐.jpg 
日本人の食の西洋化はよく取り上げられる話題ですが、今でも日本人の主食と言えば米であると思います。しかし、フィリピンに行くとそれを考え直させられるほど、お米を食べる文化が強いです。ケンタッキーでもチキンとライスなのが普通であり、お米がついていないと、おやつとしてカウントされやすくなります。これも、現地に行って初めて知ったことであり、多様な価値観の存在に気づかされるものでした。 


子どもたちの夢と現実の落差 
小西隆太 人間科学部児童教育学科 S小西.jpg 
フィリピンの人気店『ジョリビー』でお祝いをしてもらうことが、子どもたちの夢であると聞きました。しかし、この夢を叶えることができるのは全員ではなく、裕福な家系や親がそのために頑張って働いていると分かりました。反対に貧困地域ではジョリビーの廃棄品を食べる現実もありました。 




みんなの笑顔で心が温まる 
森 綾菜 外国語学部外国語学科 S森.jpg 
4日目のトンスーヤ小学校でいくつかの教室に入って小学生たちと記念写真を撮ることがありました。そのとき私は警戒されちゃうんじゃないかと少し不安な気持ちだったのですが、みんな積極的に話しかけてくれたり、名前を見てノートに書き留めてくれたりして私たちを受け入れてくれました。また写真撮影のときずっと私にくっついていた子がいて、私は何もしてないし、会って1分もないぐらいだったにも関わらず、私にくっついて笑顔で楽しそうにしていました。とっても心が温まり、嬉しい気持ちになりました。 

情報の「知」と経験の「知」 
赤尾円香 外国語学部外国語学科 S赤尾.jpg 
活動中、「自分にできることなんて1つもないんじゃないか」と数え切れないほど葛藤した。フィリピンの子どもたちに、「あなたの夢は何」と尋ねられて答えられなかった。何の為に大学で学んでいるのかわからなくなっていた。そんな時、FHのスタッフが私たちに一つのヒントをくれた。それは、"Study Hard" ネットで調べたら簡単に答えが出てくる世の中で、見えないものを見ようとすることが大切なのだと身をもって感じた。情報として得た「知」と、経験を通して得た「知」は違う。新しい自分へと変わりたいのなら、まずは勇気を振り絞って一歩を踏み出してみること。"Study Hard"を皆さんにも是非共有したい。 

も祈りたくなった 
  大番 島 国際文化学部国際文化学科  S大番.jpg 
旧市街探索の際にマニラ大聖堂を訪れた。荘厳な教会で建造にも感動したが、それよりさらに感動したことがあった。その教会の中には信者がキャンドルをマリア像の前に置いて祈ることができる場所があった。フィリピンの現地の人々がマリアを見つめ一心に祈る姿を見て、私は涙した。フィリピンは幸福度の高い国として知られている。どの活動でも、現地の人々はとても陽気に優しく私たちを歓迎してくれた。フィリピンの人々がなぜ朗らかで優しいのかが少しわかった気がする。私はキリスト教徒ではないが、祈りたくなった。 


心のボランティアとして 
  能登原史華  外国語学部外国語学科 s能登原.jpg 
フィリピンは「精神的に豊かな国」だと感じましたが、解決すべき問題は沢山ありました。特に、ストリートチルドレンの問題です。虐待を受け親元を離れ一人で生活をする子ども、兄弟が多く家では十分に食事が摂れないため自ら一人で暮らす選択をした子ども、理由は様々ですが、今回の研修中にも多くのストリートチルドレンを目にしました。日本で何不自由なく暮らす私には衝撃的な光景でした。今できる私の精一杯は、この問題を伝え、彼らを想うこと。心のボランティアだと思います。何事にも当事者の境遇や気持ちに寄り添うことができる人物になりたいと強く思います。 

肌で感じた貧富のギャップ
矢野壱真 法学部法律学科 S矢野.jpg 
今回の活動では民泊をすることは叶いませんでしたが、民泊ではなかった分、貧しさと豊かさの振れ幅を全身で毎日感じることができました。また、いわゆるスラムに住む貧しい地域の子どもたちと交流した日の夜に、おそらく裕福な子どもの誕生日パーティーを見かけて、ギャップを肌で感じました。


    

手作りブレスレットは私の宝物 
  宮田 杏 外国語学部外国語学科 S宮田.jpg 小学校を訪問した際に、仲良くなった女の子に手作りのブレスレスレットをもらいました。その場ですぐ何かお礼をと思いましたが何も持ち合わせておらず、ただお礼を言うことしかできませんでした。申し訳ない気持ちとそれを私にあげたいと思ってくれた気持ちがただただ嬉しくて心が温かくなりました。日本に帰った今でもずっと身につけています。子どもたちの笑顔を守りたいと何度でも思わせてくれる、私の宝物です。


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西南学院大学の公式HPはこちらから




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2023年05月10日

西南学院大学フィリピン海外研修①


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フィリピン国旗.jpg西南学院大学ボランティアセンター(福岡市)が、2023年2月24日~3月2日の日程で、FHフィリピンの活動地ブラカン州ナボタスとマラボンで海外研修を行い、ハンガーゼロがサポートしました。参加された12名の学生さんの体験記が届きましたので、紹介させて頂きます。

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私にできることは何か
重富 泉 人間科学部児童教育学科
S重富泉.jpg 私は4年間、ボランティアのサークルに所属していたのですが、新型コロナウイルスの影響により、私が望んでいた対面でボランティアを進めることが厳しい状況でした。そこで、実際に現地を訪れて、相手の反応を見ながらボランティアができる本企画に興味を持ち、応募しました。
 実際に行ってみると、「私は貧困に苦しむ子どもや現地の方に会って少しでも役に立ちたいと考えて参加したはずなのに、食べ物が十分に与えられていない子どもたちがいる目の前で食べきれないご飯を残してしまったりして、活動目的を見いだせずにいる一方で、現地の方の温かさに毎日触れる日々で、本当に現地の方のためになっているのだろうか」といった葛藤がありました。
 しかし、そんな中で、西南タイム(※1日の振りかえり)の時間に、「私たちが現地を訪れた、そのこと自体が子どもたちに希望を与えている」という言葉を聞き、心に深く響きました。貧困家庭の子どもたちは、それがあたりまえと思って過ごしていて支援を必要としていないこともあります。それでも、私たちが訪れることで、世界はもっと広くていろんな選択肢があるということや、生きる希望を与えることができると学ぶことができました。その言葉に救われたと同時に、私にできることはそれまでだろうかと考えるきっかけになりました。私にできることを考えた結果、日本に帰ってからも貧困について学び続け、日本でできることを見つけようと思うようになりました。フィリピンでは、貧困地域に対する支援が充実しており、その効果は着実に進んでいました。一方で、日本では、貧困家庭が存在していてもあまり知られておらず、その支援についても全国的に進められていない現状があります。私は4月から小学校の教師として働くことが決まっていますが、子どもたちが安心して日々を過ごすことができるように、学校全体や関係機関と連携してこの課題に取り組んでいきたいと考えています。

この活動から学んだこと
小畑 華 外国語学部外国語学科
S小畑華B.jpg 特に一番印象に残っているのはスラム街への訪問でした。正直私は最初怖かったです。「鞄を前に持っ て、スマホは出さないように」という指示があり、不安が募るばかりでした。
 スラム街に足を踏み入れた途端から、私は現地の人と目を合わせることを拒んでいました。ですが、すぐにこれは間違いだと気づきどうして自分はここに来たのか、何を学ぶためにフィリピンに来たのかを考え直しました。その後の子どもたちとの交流で、涙が出そうになりました。おそらく私が想像していた貧困地域に住む人々の様子とは違った光景が目に飛び込んできたからではないのかと思います。このことが自分の中に存在する「貧困」のイメージを変えるきっかけとなりました。そして、私たちが勝手に彼らを「貧困」だと決めつけているのかもしれないと感じました。
 また、フィリピンの方々の優しさやとにかく素敵な笑顔も非常に印象に残っています。同時に、「幸せ」についても考えるきっかけとなりました。お金や洋服よりも大切なモノ。忘れがちになってしまいそうな「大切な存在」について自分なりに見つめ直す機会になりました。さらに私たちの普段の生活にはあまり馴染みがない「宗教」についても触れることができました。教会という存在は人々の心の拠り所であると同時に人々を団結させる目には見えない大きな力を秘めていると感じました。スラム街の訪問、フィリピンの一般家庭の体験、小学校や教会の訪問、FHのスタッフの方々やフィリピンの方々との交流。こうした異文化理解やカルチャーショックは今後の自分に繋げられると思っています。

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よく考え学んだ一週間
藤田 凛 法学部法律学科
S藤田凛.jpg 平凡な大学生活を変えたい、何か自分や他人にとって有意義なことがしたい、成長したい、私は大学生になってからずっとこのようなことを考えていました。そんな時に見つけた海外ボランティアはこんな私を大きく変えてくれてたくさんの考え方を教えてくれました。
 フィリピンの貧困地域は日本とは違って建物が古く、トイレには便座がない不自由な場所です。そんな場所を見てはじめは私たちが何とかしなければいけない、そう心から思いました。しかしそんな中で印象的だったのは貧困地域の子どもたちや地域の方々の温かい笑顔です。確かに経済的には貧困なのかもしれませんが、彼らは本当に幸せそうで常に笑顔を向けてくれたりたくさん話をしてくれたりしました。
 中でも生活体験では鍋敷きの作り方がわからない私に何度も丁寧に教えてくれたり、完成したら一緒に喜んでくれたりとフィリピンの方々のぬくもりが手にとるように伝わってきました。その瞬間、私はフィリピンの方々の温かさを感じたり日本にはない幸せの形に出会うことができたと感じました。
 しかしそんな幸せそうな様子を見ると同時に、ボランティアに来たのに結局自分に何ができるのかわからなくなり、どうしようもなく悲しい気持ちにもなりました。今回の活動を通して私が大きく感じた感情はこの葛藤でした。結局自分は無力なのだなと思い、何かできることを探したいと思って参加したのに結局何もできていないことにいら立ちすら覚えました。しかし、これもこのボランティアに参加しなければ考えもしないことでしたし、この体験を生かしてこれからの人生で自分にできることを必ず見つけたいと思っています。

新しい幸せの形
濱田桜音 経済学部国際経済学科(写真㊥)
S濱田桜音.jpg 今回の活動を通して、現地の状況を理解すると共に、異文化に触れたことで初めて客観的に日本を感じることができた。フィリピンに行くまでは、初めて行く海外への期待と、異国での生活に対する不安が混在していた。しかし、現地の人々が私たちを温かく迎え入れ、言葉を理解できず戸惑っている場面では、簡単な英語とジェスチャーを交え常に笑顔を絶やさず話かけてくれたことで自然と不安は消えていった。この7日間では、フィリピンの方の思いやりにたくさん触れ、言葉や文化の壁を越えた素晴らしい経験ができたと感じている。
 中でも台ふきや鍋敷きなどで使用するためのマサハン作成をした生活体験。私たちは、かたどられた布を組み合わせ、ミシンで縫う工程の手伝いをした。一見、地味で簡単な作業だが、布のかたどりから手動のミシンで製作するまで相当な時間を要する。この全工程を一人で作業し、更には一枚2ペソ(約5円)で売ると聞き、私は生活の厳しさに衝撃を受けた。
 また、ごみが散乱した道、薄黒く汚れた川など、行く先々で目の当たりにするフィリピンの環境状況についても驚きがあった。写真では伝わらない臭いや日常の景色は、現地に行かなければわからなかったことも多く、母国日本がいかに恵まれている環境であるか、改めて知ることができた。当たり前が決してそうではないということも、世界に触れることで違う視点から考えさせられる経験となった。
 ただ、この環境の中でもフィリピンの人々は自分なりの「幸せの形」をもち、彼らの笑顔には明るい希望すら感じた。心の豊かさは助け合いの下育まれており、人々の繋がりが幸せを導いているのだろう。日本では気づくことができなかった幸せの形を見出せた。

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西南学院大学/フィリピン海外研修②はこちら

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2023年03月10日

HOLPFI(ハンズ・オブ・ラブ・フィリピン)の活動報告


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【教育支援】

 HOLPFI は大学生6名、高校生7名、中学生15名、合計28名(マンヤン25名、タガログ3名)の学生をプログラムを通してサポートしています。

 教師、警察官など目標をはっきりと持っている学生やまだ考えていない学生などさまざまですが、将来にビジョンをもって学び、置かれたところでイニシャティブをとり、与えられた能力と環境を最大限に用いて、自分のクラス、家庭、社会に貢献するような人に育って欲しいと願って、年に2回、学びをしています。HOLPFIのスタッフのような、人を助ける仕事をしたい、そのためにソーシャルワーカーになりたい、という奨学生もでてきました。
 運営は保護者の委員会に委ねており、HOLPFI はプログラムの管理の仕方を学んでいただけるようサポートしています。お母さんたちも管理能力を養い、よりよい村造りができるよう励まし合って協力することを学んでいます。




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新年度のオリエンテーション



【フェアトレード事業】
KAPASA の再開

 非営利団体の私たちですが、活動をすすめるために一定の収益活動が認められています。私たちのフェアトレード事業の目的は、事業費の捻出と貧しい人たちが始めた収益活動の支援です。
 多くのNGO が生活困窮者の為に始め、支援の撤退とともに活動が行き詰まってしまうのが現状です。原因の1つは収益や問題解決能力の不足ですが、これは人々の価値観と無縁ではありません。
 それらの反省をもとに、私たちは専任スタッフを雇用して継続的に支援をする事を決めました。今までと違うのは、充分な収益を得られていないグループをサポートして事業が継続できるようにしていくことです。
 原住民によるクラフト事業のマーケットは国内外の観光客ですがコロナの影響で現在も観光客の数が回復していません。マーケットの動向を見つつ、販路の開拓を進めていく予定です。


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クラフトチーム(奥にまとめ役のロゼンダさん)

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2023年03月08日

住民主体で持続可能な地域に向かうアルサビ村


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HOLPFI 酒井駐在員


地域開発支援

【アルサビ村】

アルサビ小学校
 昨年の4月に状況確認の時に訪れた時、先生から「今年正式に本校と認可されたことで、ソコロ県政府からの予算で、教務室の建設の予算が確保出来た」と喜んで話してくれました。
 その後10月に訪問して驚いたのが、教育省の規格にのっとったコンクリート製の校舎の建設が始まっていたことです。ただ工事は12月からの雨季で一旦中断したため、完成は2月末以降となる見込みです。

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建設中のアルサビ小学校校舎(2教室とトイレ)

アルサビ地区の土地問題の進展
 土地問題で残っているのは、教育省へ寄贈する9千坪余りのうち、政府が登録簿を失い、再登記をしないといけない部分です。今年になって新たな展開がありました。対象の土地が、政府に認められた「原住民固有の土地」の可能性があり、手続きが止まってしまいました。それが確かにそうだとなると、その土地を管理する管理局と教育省とで合意書が作成され、教育省の土地となります。

村の水問題
 村には4ヵ所に水場があります。2つは学校用、2つは村の人たち用です。村人は水場まで水を汲みに来て、家に持ち帰ります。
 学校の先生がホースの先にペットボトルの飲み口の部分を取り付けて水を留められるようにして下さったのですが、幼い子どもたちには閉めるのは難しく、また蓋がなくなることもあります。村の人に水を大切に使うことを学んでもらうためにスタッフは根気強く働きかける一方、皆が話し合ってコミュニティ側の2箇所で、コミュニティの貯蓄からお金を出して蛇口が取り付けられました。


4-3アルサビリーダーたち.jpgリーダーの資質
 来年度の6月でアルサビ村での活動を終了するので、村のリーダーの中から選ばれた4名がVOC(コミュニティがビジョンをもって自らの村を開発する手法)に基づいてコミュティ開発を導いていけるようトレーニングをしています。トレーニングを受けている4人のうち2人は小学校4年、1人は2年生まで終了した人たちです。スタッフが忍耐をもって、理解できるよう色々と工夫を凝らしています。
 持続可能な開発を考える時、住民の人たちが外部からの助けを待ち続けるのではなく、まず自分が率先して与えられた資源を最大限に用いてできることから取り組んでいけるリーダーが育ち、周りの村にも広がっていくことを願っています。

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村の様子 
 久々の村の訪問で一番驚いたのは、子どもの数(2才以下の赤ちゃん)がものすごく増えていたことです。教育省の人が村人に、学校を続けていくにはもっと子どもの数が必要だと伝えたとのこと。これは、アルサビ村以外の人たちに子どもを学校に行くように励ましなさいという意味だったと思うのですが、自分たちの子どもを増やすと理解した結果のようです。




【ファグリブワン村】 

 ファグリブワン村には2019年から訪問を始めました。西ミンドロ州の南部に位置し、まず最寄りの村で1 泊して午前中に山道を歩いて移動します。
 支援活動をどのようにするかを計画するために、私たちは1 年程度具体的な支援活動はせずに人々の理解に努めます。


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ここもコロナの影響で訪問ができなくなっていましたが、2021年にスタッフがワクチン接種に同意し接種記録カードを得たことで訪問が再開できるようになりました。2022年は以前の計画のフォローアップです。新しい考え方や進め方を繰り返し話し理解を深めていきます。

村の様子
 この地域に一番近い泉は、乾季には充分な水量がなく、それが一番の課題です。またNPA(新人民軍:共産ゲリラ)も近くにいて、ここの地域の人々の生活の安定は、間接的に彼らに利する可能性もあります。12月は現地から、来ないようにという連絡があり、訪問はキャンセルされました。支援の方法についてはより慎重さを要すると考えています。


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HOLPFIの他の活動報告はこちらからご覧いただけます▶︎こちら

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2023年02月03日

「貯蓄グループ」からビジネスに発展


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ボリビアのカラウタ地域の協力者であるエドガルさんは、「リオカイネでは栽培したパパイヤやレモンをコチャバンバの市場でとても安い値段で売っています。パパイヤをジャムにしたり、乾燥フルーツにしたり、レモンをジュースにしたりして高く売る知識が足りないからです」と語っています。今後はこのようなビジネスに取り組んでいこうと考えています。

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カンボジア国旗.jpgカンボジアでは、貯蓄グループのメンバーがビジネスを始めるための資金や方法、ビジネスプランの立て方などを学びました。将来は鶏やアヒルの飼育に関連したビジネスをしたいと考えています。実際に小規模ビジネスを始めたことによって年間500ドルの収入を得ることができました。

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ウガンダ国旗.jpgウガンダでは農民や貯蓄グループのメンバーたちが、収入向上のための小事業を考え、取り組んでいけるように研修を受けました。また農業組合を設立して精米の機械を買いました。さらに米を貯蔵用倉庫で貯蔵することで米の質を維持し、高い値段で販売、より多くの収入を得られるように考えました。その結果、農家は生産物の市場へのアクセスが容易になり、時にはケニアやタンザニアなどから買い付けに来るようになりました。さらに集荷のため、また収穫後のロスを減らすために穀物貯蔵庫を建設しています。

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フィリピン国旗.jpgフィリピンのスラとマトノグの両地区では、貯蓄メンバーによってオンライン販売、サリーサリーストア(小さな売店)、中小事業が開始されるようになりました。具体的には、2021年9月にスラ農水産業協同組合を設立し、組合が設立した店で果物、野菜、米を重点的に販売、人々は新鮮な果物や野菜を手にいれることができるようになり、食料安全保障につながっています。また一部のメンバーは、バナナをおやつ用に加工して販売したり、野菜を購入して惣菜を作り販売したりしています。マトノグでも、農業協同組合を設立しました。この地域の主な製品は米の小売/ 卸売ですが、卵、砂糖、油も販売しています。将来的には、遠くの地域に高品質で手頃な価格の米を届けられるようにサイドカーを購入したいと考えています。

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2022年09月29日

2021世界食料デー募金使途ご報告_フィリピン共和国




フィリピン共和国 【 480万円 】

地域リーダー育成、教育支援


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ハンガーゼロは、現地パートナーのハンズ・オブ・ラブ・フィリピン(HOLPFI)と協力して、東ミンドロ州ソッコロ県アルサビ村で地域リーダーの育成に取り組み、地域住民による子どもの教育環境の改善を支援しています。「村に学校を!」という思いで住民たちが設立に取り組んできたアルサビ小学校では、2021年12月の時点で幼稚園から小学校4年生までの 84人の生徒が4つの教室で 4人の教師から学んでいました。新型コロナの大流行による移動制限などにより手続きが一部遅れてはいますが、教育省から正式に学校として認められ登録されました。それによって政府から予算がつけられることとなり、今後、子どもたちへの教育が充実していくことが期待されます。地域リーダーたちを対象としたリーダーシップトレーニングでは、HOLPFIスタッフに代わって3人の地域リーダーたちがスピーカーを務め、クリティカル・シンキング(批判的思考)を身に着けるためのワー クショップでもファシリテーターの役割を担いました。今後は地域リーダーたちが具体的な年間計画を立てられるようになることが期待されています。



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2022年06月29日

HOLPFI(ハンズ・オブ・ラブ・フィリピン)台風ライ被災者支援プログラム


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台風ライ(フィリピン名:オデット)被災者支援にご協力をありがとうございました。124万円のご支援をいただきました。2021年12月16日にフィリピン中部を襲ったこの台風は、最終的には210万世帯に半壊、もしくは全壊の被害を与え、2 万1 千人以上の人々が住む場所を奪われました。
 農林業の被害も甚大で、2014年の台風の被害から再び大きな被害を受けることになりました。
 台風が去った直後から情報収集に努めましたが、大規模な停電が継続していたために時間がかかり、私たちが全体の概要を把握できたのは年末になってからでした。
 被災地が広範囲に亘っていて、私たちのように小さな団体が出来る役割は限られています。もっとも大きな被災をし、その時点で外部からの支援が十分でないとの情報を現地で活動していたHOLPFI 理事ベー氏から受け取ったことで、パラワン島ロハス市のプロクゼニア村を支援する事になりました。

現在も復興の努力は継続しています

12月末の時点で現地ではわずかな食料支給以外に政府から復興に関しての支援はありませんでした。対象地域でもっとも必要とされていたのが家屋の補修でした。ほとんどの家が屋根を失っており、ブルーシートを張って夜露をしのぐということも出来ない状態でしたので、全半壊の家屋復興に合計40軒に屋根材の支援を決定しました。2月7 日、コロナの隔離政策が続く中、エバスタッフが現地を訪問し状況を確認して復興資材を手渡すことが出来ました。地域の人々の主な収入源だったココナッツも大きな被害を受けていました。

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 5月末の時点でのコミュニティの様子ですが、復興の具合は、元々の被災の大きさによって家庭ごとに違いはありますが、日本の皆様からの支援を足がかりに復興の努力を続けておられます。
 支援概要: 3M 波板、傘釘、チェーンソー用燃料

2年ぶりに戻って環境を整えています

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私たち(酒井保&慶子)は4月13日にフィリピンに戻ることが出来ました。まだ完全には隔離政策が解除されてはいませんが、マニラはほぼコロナ前に戻っています。2 年間放置していた家(マニラ/ カラパン)の片付けを手始めに、ビザの再取得の手続きの開始や業務環境作りを進めています。生活面では、乗り物のルートが変更になっていたりなじみの店が閉店していたりと、日本では判らなかった様々な変化に戸惑いもありますが、今は日本人が運営するSNSグループサイトもあり、そこからも情報を得ならが適応を進めています。

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2021年08月02日

【オンラインイベント告知】ハンズ・オブ・ラブ・フィリピン WEBフィリピン現地活動報告会


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HOLPFI現地活動報告会.pdf


8月 28 日(土) / 29 日(日) ※両日共内容は同じ
時間:19時30分 ~ 21時
参加:無料
オンラインツール:Zoom
申し込み:申込サイト又はお電話から
内容:持続可能な開発と人財育成
持続可能な開発のカギは、人々の行動変容ですが、それが社会全体に影響を及ぼして行くには時間がかかります。人々の行動の変化を促していく為の支援活動をどのようにおこなっているかを紹介します。


お申し込みはこちらをクリック

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2020年04月07日

【フィリピン】西南学院大学 ワークキャンプ体験記2


フィリピンが教えてくれた笑顔の大切さ
井上 碧 人間科学部心理学科
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 私がこのワークキャンプに参加した理由は、海外でのボランティアに挑戦してみたいという思いとともに、フィリピンの貧困地域の様子や人々の暮らしを実際に自分の目で見てみたい、というものであった。

 フィリピンに着いて最初に気づいたことは、空港から私たちが泊まる宿へ移動する際、賑やかなマニラから離れるにつれて建物や人、車が少なくなり、街の灯りがなくなっていったことである。これがフィリピンの都心部と田舎の裕福度の差を感じた最初の瞬間であった。

 フィリピンでの生活は、布団の上にはアリがいるし、お湯は出ないし、トイレを流す水でシャワーをするなど、最初は抵抗もあり、日本に比べて便利な生活であるとは言えなかった。しかし、そんなことも忘れるくらい、フィリピンの方たちには笑顔があふれていた。

 様々な活動の中で、現地の方の温かさを感じる機会があった。教会でペイントの作業をするとき、「大丈夫?」と気にかけてくれたり、困ったことがあるとすぐに対応してくれた。また、竹のスティックを作っているお宅へホームステイに行ったときは、手をとって何度も何度もスティックの作り方を教えてくれた。ボランティアをするために行ったはずなのに、いつもフィリピンの方たちは私たちのことを気にかけ、助けてくれた。また、目が合えば必ず微笑みかけてくれることがとても印象的であった。

 貧困とは、辛くて笑顔の少ない生活。このようなイメージをフィリピンに行く前の私は抱いていた。しかし、そんなイメージは11日間でなくなった。皆いつも笑顔で幸せそうだったからだ。それは大人だけでなく、子どもも同じであった。私たちの宿の周りにいた子ども達は、突然やって来た私たちを笑顔で迎えてくれ、おいかけっこして遊んだり、抱きついてくれたり、名前を覚えてくれたりした。活動後疲れて宿に帰って来た日も、子ども達が笑顔で迎えてくれると疲れが吹っ飛ぶようであった。

 フィリピンで、私たちが行ったボランティア活動以上に大切なことを教えてもらった。それは、貧困=不幸ではないということ。笑顔でいることが一番であること。これが、日本で私が一番伝えたいことである。最初は慣れない生活に早く帰国したいと思うこともあったが、最後にはまた行きたいと思うほどフィリピンが大好きになった。ワークキャンプに参加して素敵な経験ができたこと、現地の方や西南のメンバーに出会えたこと、本当によかったと心から思う。この経験を多くの人に伝え、また、今後もボランティア活動を続けていきたい。

ただの7日間
徐連月 神学部神学科
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 出発する前に、学校で何回の事前研修をしました。その時、「個人的に現地の子供たちに物をあげないでください」と先生たちが教えてくれました。現地FHのスタッフさんも同じ言葉をおっしゃいました。彼らが支援する時、支援される側に物をあげないということを心掛けているそうです。彼らはこのことによって、地域の人を自立できるように支援しています。FHは地域の人たちの中からリーダーを育ち、地域の方々が自分たちで開発し、自ら立てることを望んでいるそうです。また、地域の子供たちの教育も心掛けているそうです。図書館を建てて、地域の子供達が本を読む機会を提供しています。小学校に入る前の子供達の教育も担当しているそうです。「全ての子供達が教育を受けられるように」とFHのスタッフさんがおっしゃいました。FHの方が教育の面、生活の面の両方を見て、その改善のために地域に奉仕していることを知りました。彼らがなさっている活動を通して神様の姿を見出しました。

 フィリピンではタガログ語を話しますが、私は現地の子供たちと同じように簡単な英語しか喋れません。お互いが相手にはっきりと自分の気持ちを伝えることが難しかったです。しかし、言葉が通じなくても、共通するものはあります。それは笑顔です。「君と出会って嬉しいよ」の笑顔、私の名前を覚えてくれて嬉しく感じる時の笑顔、自撮りを誘って喜んで写真を撮る時の笑顔、お互いの壁画を「いいね」と褒め合う時の笑顔、食べ方を教えている時の優しい笑顔など。喜び、感動、気になる、心配、理解、尊敬、色んな感情が入っているいるみんなの笑顔が私の心を温めてくれました。活動が終わりましたが、その日その時、みんなの笑顔を今でも鮮明に覚えています。これからはそのような素敵な笑顔を多くの方々に伝えていきたいと思っています。

 私はただ7日間の活動しかしてなかったのですが、フィリピンで色んなことを体験しました。海外で壁塗りと壁画を作成し、グループでダンスを披露しました。メンバー全員のチームワークなど、たくさんのことを学び、考えさせられました。短い期間でしたが、今回の海外ボランティア活動に参加できて良かったです。感謝しています。


11日間での貴重な体験
草柳あみ 人間科学部心理学科
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 私は、この11日間でなにものにも代えられない貴重な経験をしました。もちろん、最初は日本と全く異なる生活様式であるフィリピンになじめるのか、言葉が通じない中でうまくやっていけるかなど不安な事ばかりでした。しかし、現地のスタッフさんや町の人々は本当に温かく私たちを迎え入れてくださり、とても居心地の良い生活を送ることができました。

 11日間フィリピンで生活してみて、フィリピンの人々は常に明るく笑顔で、私たちを当たり前のようにもてなしてくれたり、気遣ってくれたりすると強く感じました。日本に比べて電気や水道設備がきちんと整っておらず、あまり裕福とは言えない中でも自分たちの生き方にしっかりと幸せを見出し、その幸せを私たちにも分けてくれて、本当にフィリピンは素敵な国だと実感しました。また、子供たちとかかわる機会が多くありましたが、言葉はあまり通じなくても表情や動きで伝えてくれたり、名前を覚えてくれたり、かわいくて素敵な子たちばかりでした。フィリピンでの思い出の多くは、子供たちの笑顔であふれています。お世話になった養豚場の方は、仕事を1つ1つ丁寧に教えてくださり、「私たちを家族だと思って」と言ってくださったり、「もっと食べて」とたくさん食事を勧めてくださったりして、初めは養豚場に少し怖いイメージを持っていたけど、ここに選ばれてよかったと心から思えました。すべての出会いが貴重なものになり、まだフィリピンにいたいという気持ちが強く別れの時は寂しい気持ちでいっぱいでした。それだけ、フィリピンが素敵な国だったんだとしみじみ感じます。

 自分の目で見てみないとわからないことが多くあるんだと、今回のボランティアを通して体感しました。実際、私はフィリピンについて何も知らず、こんなに貴重な経験ができるとは思ってもいませんでした。だから、これからこの経験をした自分にしかわからないことを、自分の言葉で少しでも多くの人に伝え、知ってもらいたいと思っています。そして、他の国にも海外ボランティアに行って、その国についてたくさん知りたいです。今回フィリピンのボランティアに参加することができて本当に良かったです。かけがえのない経験をすることができました。ありがとうございました。


あなたへ
中島維吹  経済学部 経済学科
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 この報告書を読んでいるあなた。1年前、私も同じようにこの報告書を読んでいた。何気なく手に取ったそれを見て、私はこのプロジェクトに参加することを決めた。そして活動を終えて帰国した今の自分は、前の自分とは大きく違う。絶対に成長したと強く感じている。だからあなたにも、この報告書を通してプロジェクトに挑戦することへの後押しができたらと思い、このようなタイトルにした。

 まず初めに、フィリピンと言われてあなたは何を思い浮かべるだろうか。私は「貧困」「辛そう」など、非常にマイナスなイメージを持っていた。しかしながら、答えは違った。結論から言えば「幸せ」だった。実際、フィリピンは発展途上国で、日本よりも暮らしにくい。トイレは紙を流せないし、トイレ自体がない家だってある。風呂もお湯は出ないし、そもそも体の洗い方がわからない人だっている。けれでも私は「幸せ」だと思う。それはなぜか。ポイントは三つあると考える。一つ目は「コミュニケーション」だ。フィリピンの人はとてもラフである。すれ違うたびに挨拶され、少し距離があっても目に入れば手を振ってくる。ある日、現地の若者たちとバスケットボールをする機会があった。男女混合だったが何も気にしない。日本人だったら少しは怪訝に思うことも彼らは受け入れてくれる。本当に、誰が家族で誰が友達なのかが全く分からないのだ。二つ目は「無償の愛」である。現地でボランティア活動をされている方々と行動を共にできる機会があった。聞けば彼らは、子供たちの健康状況を把握するためにフィリピン全土の家々を巡り、5歳児未満の身長と体重を測定しているという。しかも無償で。こんなことが自分にできるだろうかと思い、彼らに感激したと同時に自分の未熟さも知れた。三つ目は「笑顔」だ。11日もの間フィリピンにいたが、現地の方々の訝しげな顔を私は一度も見たことがない。常に笑っているのだ。現地のお姉さんがこんなことを言っていた。「私たちはみんなに喜んでもらいたい。だからいつも笑ってるんだ。」と。素晴らしいことだと感銘を受け、改めて笑顔の力を思い知った。

 以上3つのポイントを述べたが、これらの根源が存在すると私は感じた。それは「隣人愛」である。フィリピンではキリスト教を重んじている。聖書には「隣人を愛すること」と書かれており、これが私の感じた全ての幸福に繋がっていると思う。

 ボランティア活動を全うしていた折、現地の男性からこんなことを言われた。「君たちは僕のヒーローだ!」と。時折「私はここに笑顔を届けに来たのに、逆に与えられてばかりではないか。」と思うことがあった。そんな時にかけられた声に、自分の行動が意味のあるものだと知れてとても嬉しかった。またこの活動を共にしたメンバーにも感激している。西南タイムで一人一人その日の感想を述べるのだが、みんな同じ場所で同じ時間を過ごしているのに、各々が気づいていないことに気付いている。とても刺激的な時間だった。この報告書を読んでいるあなたも、活動を共にする中で素敵な出会いが待っているだろう。

 最後に。何かを学ぶためには新しい一歩を踏み出し、体験しなければならない。そうして見たもの・感じた想いは、自身の想像だけでは何も理解できていなかったことを教えてくれる。ということを伝えたい。この11日間の出来事をこれからどう生かしていくか。私はさらに前へ進んでいきたい。

人々の温かさと思いやりを感じたフィリピンボランティア
木薮 実紀 人間科学部 児童教育学科
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 私がフィリピンでの海外ボランティアワークキャンプに参加しようと思った最初のきっかけは、挑戦しようと思ったことがあってもすぐに後回しにしてしまったり、逃げってしまったりすることの多い自分を変えたいと思ったことである。ちょうどこのような感情が高まっているときにこのワークキャンプが開催されることを知り、心が動かされ、参加を決意した。さらに、大学生である今、海外の現状について自分の目で見たり、実際に現地の方々とに交流したりする中で知ることで、そこでしか得られない経験を積み、自分の中に新たな知識や感情が芽生えることを期待した。

ボランティアメンバーとして参加できることが決まり、事前研修を重ねていく中で、大きな期待もあった がもちろん不安もあった。私自身、海外でのボランティア活動の経験はなく、フィリピンについても全くと 言っていいほど知識がなかった。配布された資料を読んだり、自分でフィリピンについて調べてみたりしてはいたが、知識はまだまだ不十分なまま、あっという間にボランティア活動の日はやってきた。

実際にフィリピンでの様々な活動を通して、確かに英語力等の知識も必要であるとは感じたが、それ以上にコミュニケーションを取ろうとしたり、心から人と接しようとする素直な気持ちが大切であるということに気づかされた。フィリピンの方々は温かい眼差しで真っすぐに目を見て、こちらと素直な気持ちで関わりを持とうとしてくれる。それは決して当たり前のことではないと思うが、フィリピンの方々にとってはそれは当たり前であると感じるような場面がたくさんあった。一例として、ボランティア活動の中で、教会のリ ノベーション作業があり、そこで壁にペンキを塗る場面があったのだが、疑問を聞こうとする前にすぐに気づいて教えてくださったり、表情一つにもすぐに気づき、気遣ってくださったことが挙げられる。フィリピンの方々は周りの事をよく見ていて、その思いやりの気持ちに見返りを求めるような感情はないように感じた。そのような素直で温かい思いを私も人に与えられるようになりたい、見習いたいと心から思った。さらに、消極的な自分を変えるために、積極的に人と関わろうと努力していたのだが、そんな私のことも優しく受け入れてくださった。

ボランティアとして活動を行っていたが、与えられたものほうが多かったことを実感している。そして、フィリピンの方々だけでなく、メンバーの皆も温かく、このメンバーで活動することができて本当に良かったと思う。初めに期待していた以上に自分を変えることのできるような新たな感情や経験を積むことができたことに感謝し、無駄となることのないようにこれからに活かしていきたい。そして、フィリピンの方々のように日々笑顔で楽しく過ごしていきたい。


ありがとうの大切さ、笑顔のすばらしさ
能美 泰成 人間科学部 社会福祉学科
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志望理由書に私は、日本とフィリピンの間に「笑顔の架け橋」を架けたいと語っていた。それで今回初めてフィリピンの海外ボランティアに参加させていただいて、実際に貧困が激しい村に行って村の人たちと共同生活を行っていたが、もう行く前から見えない笑顔の架け橋は架けられていた。決して村の状況としては、有意義なものではない。お湯がない、便座がない、自分たちの立場からしたらありえない光景なのに、フィリピンの人たちにとっては、これが常識であり、日常的なものである。フィリピンの人たちはこの生活は大変であるはずなのに、毎日満面の笑みを浮かべながら本当に楽しそうに会話している姿が見られる。私はその光景を毎日見てきて、日本とフィリピンの「距離感」の違いを感じた。日本は初対面の人には、思わず緊張してしまい壁を作ってしまうが、フィリピンではそんな概念がなく、気軽に話しかけてくれて、気軽に友達になってくれる。教会訪問の時も感じたが、同世代の男性から「バスケしよう!」って気軽に誘ってもらえた時も純粋に嬉しくて、幸せを感じた。だから日本では、自分を知るためによりたくさんの人との「出会い」を大切にし、その受け取った賜物(出会い)を大事にし、一歩ずつ成長していかなければならない。フィリピンに来てから様々な場面で、「笑顔」と「幸せ」の意味を深く考えさせられる機会が増えた。ここまでフィリピンの人たちが笑顔を絶やさない理由は、見えない信頼と団結力があるからこそであろうと感じた。ただ全ての村が決して笑顔であるわけではない。私たちは学習ツアーで、IPOダムというダムの川の先にある村に訪れた。

フィリピンがくれたもの
辻千里 国際文化学部 国際文化学科
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このフィリピンでの11日間は、「幸せ」について考えるきっかけをくれました。今まで私は、日本で不自由のない生活を送ってきて、自分が不幸だと感じることはほとんどなかったと思います。でも、ワークキャンプに行く前の自分が、胸を張って「幸せだ」と言えていたかというと、そうではありませんでした。一方で、フィリピンでの生活は、日本とはまるで違って、決して便利な生活とは言えませんでした。最初は戸惑い、11日間やっていけるのか不安な気持ちでいっぱいだったけど、気がつけばあっという間に最終日になっていて、まだ帰りたくないと思うほど、幸せな毎日でした。それは、現地の人たちから、たくさんの温かさを感じたからだと思います。活動する場所や内容は、日によって違って、その分感じること、考えることも様々だったけど、毎日変わらず感じていたのが、人々の温かさでした。目が合ったらすぐに笑いかけてくれる。言葉が通じなくて、伝えたいことが上手く伝えられないときでも、何度でも耳を傾け、理解しようとしてくれる。「困ったことない?疲れてない?よく眠れた?」っていろんなことを気にかけてくれる。そんな温かさに、自分自身も温かい気持ちになったり、疲れたときには励まされたりしました。些細なことかもしれないけど、これらのことが自分にとってはすごく嬉しくて、幸せでした。

また、リノベーション作業をした教会を訪れたとき、友達なのか家族なのか分からないくらい、みんな家族のように仲が良かったのが、とても心に残っています。1日体験でお世話になった家庭でも、近所の子ども達が集まってきて、家族とか隣人とか関係なく、にぎやかで笑顔があふれていました。その輪の中にいるだけで、言語は違っても、とても楽しくて、笑顔はまさに世界共通なのだな、と実感しました。一人で笑うことはできない。だから日本で一緒に笑いあえる誰かがいることに、もっと感謝して、周りの人のことを大切にしていきたいと感じています。

フィリピンの人たちのために何かしたい、という気持ちで参加したワークキャンプだったけど、たくさんのことをもらった11日間でした。自分の周りの環境が当たり前ではないこと、小さな幸せで溢れていること、人とのつながりの大切さに改めて気づかされました。たった11日間だけど、間違いなく自分の中で大きな11日間になりました。関わってくれたすべての人に感謝して、これからも自分にできることを考えていきたいです。

『他国の生活』での学び
濱田乃瑛 法学部 国際関係法学科
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私はボランティア・ワークキャンプに参加し、『貧困』に対する考え方が出発前と大きく変化しました。そもそも、今回応募に至った経緯は、高校の修学旅行で訪れたカンボジアで経験した、小さなボランティアがきっかけです。そこで、異文化に興味を持った私は、様々な国に行き他国の実生活を体験したいと思いました。そんな漠然とした考えと共に、恵まれた日本では気づくことのできない日常を、海外ボランティアで体感し、誰かの役に立てる活動が出来ればとも考えました.。

日本においての『裕福』とは、お金に不自由なく生活し教育や医療が満足に受けられること、また『貧困』とは、それを満足に受けられないことと認識している人が多いのではないかと感じます。今回、フィリピンの現状を目の当たりにし、現地の人々が何に対して幸せを感じているかを知ることによって、自分の思い込みが大きな勘違いであったことに気づかされました。フィリピンの人々は、私たち日本人を家族のように受け入れ、現地で安心して生活できるよう、たくさんの時間を共有してくれました。温かいおもてなしの心でいつも迎えてくれます。

そんな彼らの日常生活は、水しか出ないシャワー、便座のないトイレ、蛇口から綺麗な水が出ないなどはあたりまえで、日本よりはるかに生活水準も低いと痛感することが多々ありました。しかし、どんな環境下においても、現地の子供たちはいつも明るく、一緒に歌ったり踊ったりして私たちを楽しませてくれます。タガログ語や英語が伝わらない場面でも、表情やジェスチャーで必死にコミュニケーションを取ってくれました。そんな彼らと同じ時間を過ごすうちに、私の中での『貧困』に対するイメージは日に日に大きく変わっていきました。また、彼らはどんなときもキラキラとした笑顔が印象的で、恵まれている日本人が忘れがちな、心の底からの笑顔とそこから溢れ出る幸せに囲まれています。私もふと気付けば、子供たちと一緒に手を叩き、踊り、歌い、会話を交わすなど、彼らと同じように自然と笑顔になっていました。ありのままの自然体がとても素敵な生活スタイルであり、価値のある時間だと心から感じることも出来ました。

発展の遅れた国で不便な生活をしていると思っていた彼らの幸せの基準は、実は日本人よりも遥かに質の高いものなのかもしれません。幸せの受け取り方は、自分との向き合い方、考え方一つで異なるものだと思います。彼らの豊かな表情と不便な生活を感じないほど満たされた心は、純粋に羨ましく輝かしくも感じました。

日本にはフィリピンにないたくさんのものが溢れ、比較すれば便利で快適に過ごせることは間違いありません。そして、普通の日常の中に大切なものがあるということを、私はこのフィリピンという地で、肌と心で実感することができました。

また、今回の活動により、考え方に感銘を受け尊敬できる人との出会いをはじめ、共に過ごした仲間との絆、身の回りにある小さな幸せに気付けたことが何より大きな財産となり、参加できたことに感謝しています。今後は、活動を通して感じた一つひとつの問題に焦点を置き、今の自分に何ができるのかを考え、実際に見たフィリピンの現状を伝えていける存在になりたいと思います。

【フィリピン】西南学院大学 ワークキャンプ体験記1へ

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2020年04月07日

【フィリピン】西南学院大学 ワークキャンプ体験記1


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2020年2月21日~3月2日まで 西南学院大学(福岡市)の学生15名が、海外研修でFHフィリピンの活動地ブラカン州サンマテオを訪問。ハンガーゼロがサポートしました。ボランティアワークや1日生活体験を通して貧困の現実を知り、それぞれが多くの気付きを与えられました。参加された6名の学生さんの体験記です。


私たちが見失っているもの
下川祥子 経済学部 経済学科
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私がこのボランティアに応募した理由は、「自分なりの幸せのかたち」を見つけるためです。SNS ※が発達した今、私を含め多くの方がSNS に縛られて毎日の生活を送っているのではないでしょうか。SNS 上の投稿を見て周りの人と比較し空虚感を感じている若者が増えてきているのが現状です。SNS に縛られている私たちが見失っている「幸せ」とは何なのか、現地の方は貧しい生活の中で何に対し「幸せ」を感じているのか知りたいと思い活動に参加しました。

 活動では、教会の施設のリノベーション作業や各家庭のお仕事のお手伝いをさせていただきました。訪れた場所はお手洗い・お風呂も必ずしも綺麗といえるような場所ではありませんでした。しかしそこで子どもたち、同世代の子と時間を共有していくうちに気づかされたこと、それは「常に心から笑顔でいること」でした。彼らは一日のうちに何度笑うのだろうと思ってしまうほど子どもから大人まで楽しそうに周りの方と接していました。

 私たちの多くは、「きれいな場所に住んでいることは当たり前」「お金持ちになることが幸せ」「他人と自分を比較して人より上に立った感覚になった時、幸せを感じる」など、周りといつの間にか競争をして笑顔を忘れ、普通の日常を当たり前と思いすぎているのではないでしょうか。フィリピンに来て、目に見える「裕福」ではなく、人が生きていく上で最も大切にしなければならない『心の豊かさ』では、圧倒的に私たちよりも「裕福」なのではないかと感じました。

 不便な面もありましたが、現地の方の笑顔・愛が伝わってきてとても心が温かくなる日々を送ることができました。「周りと比較しなくていい。心の底から笑い、愛をもって人と接すること」を改めて思い返させられる11 日間でした。

「Thank You」の言葉の重さ
瀬戸口未来 文学部 外国語学科
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 11 日間活動したことはどれも濃い内容で心に残りました。そのなかでも一番印象に残っている活動は地域での1 日体験です。私は、国際飢餓対策機構(FH)のお母さんたちと一緒に貧困地域の家を数十件回り子どもたちの身長と体重を測るという活動をしました。山の中や崖の上など「こんなところに人が住んでいるのか」というような場所に家があり、実際にそこの家庭の現状を目の当たりにした時は言葉を失うほどでした。近くに飲める水もなく、家の壁は竹でつくられてあり、キッチンは外にあり、紙パックジュースの紙の部分を床やカーテンの代わりにして生活していました。そんな厳しい環境のなかでFH のお母さんたちはずっと笑顔で活動していました。この活動を無償で3ヵ月に1回行っていると知り、本当に助けたいという思いなしではこの活動はできないと感じました。「Thank You と言われるのが私たちのやりがいだよ」と彼女たちは教えてくれました。この言葉はボランティア活動でよく耳にしますが、この言葉の重さを身に染みて感じました。

 また、自分自身がどれだけ恵まれた環境で育ってきたのか改めて実感しました。自分の生きている世界の小ささ、今いる環境のありがたさを痛感しました。そして、お金=幸せとは限らないこと。このことはフィリピンの人たちと接するたびに感じました。ある程度のお金は生きるためには必要です。しかしそれ以上に、「毎日毎日を自分らしく楽しむこと」の大切さをこの体験で教えてもらいました。

 この海外ボランティアを自己満足で終わらせないためにも、自分の目で見たもの体験したもの感じたものを多くの人に伝え続けて、毎日を大切に過ごしたいと思います。

過酷な生活を目の当たりに
高下比呂 経済学部 国際経済学科
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 フィリピンの人々の生活を実際に目で見てみたい、という思いでこのボランティア・ワークキャンプに参加しました。私がこのボランティア・ワークキャンプで重視していたことは、人に何かをしてあげるということではなく、現地の人々に寄り添うということでした。

 私がフィリピンで生活する中で、気付いたことの1 つは、人々の生活は過酷だということです。私は、地域の1日体験で現地の人の家を訪問しました。そこで、バナナ狩りの体験をさせていただきました。バナナの樹は山の斜面に立っていて、その場所まで歩いて山を下りていきました。ただでさえ急な山の斜面で危険であるにも関わらず、雨が降った後だったため、地面はぬかるんでいて滑りやすく、より一層危険でした。案内してくださった現地のお母さんは、サンダルでスタスタと山を下りていたので、本当に驚きました。バナナの樹は想像以上に堅く、かなり力を込めなければ切り倒すことはできませんでした。また、タロイモを洗う作業をさせていただきました。芋の泥を落とし、周りにあるスジを取るのですが、始めは手ではなく足で洗うということに衝撃を受けました。芋はかなりたくさんの量がありましたが、子どもたちが学校に行っている間、お母さんはこの作業を一人でしていると聞きました。実際に現地で暮らす人々の生活を目で見て、生活の過酷さを知りました。

 フィリピンの人とふれあってみて、フィリピンは自分を受け入れてくれる場所だと思いました。活動が終わるとき教会で自分の隣に座っている子どもが泣いている姿を見て、私も自然と涙が溢れ出てきました。このように、素の自分、ありのままの自分でいることができたのは、フィリピンで11 日間を過ごしたからだと思います。

日本人としての衝撃と痛み
山口温菜(はるな) 法学部 法律学科
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 今回の研修で私に強烈な印象を残した1 つ目は、日帰りのホームステイ先のお母さんとの出会いである。それは、「I'm poor」という言葉である。私はこの言葉に対して、貧しい、悲しいというイメージを抱いていたが、その方はその言葉を満面の笑顔で言われたのである。笑顔と豊かさが比例すると思っていた私には、「I'm poor」という言葉と笑顔が結びつかず、強烈な印象を受けた。その方が最終日に会いに来てぎゅっと抱きしめてくれた温かさを私は忘れない。

 もう1 つは、戦時中に亡くなったフィリピンの方を覚える場所を訪れたことである。私は沖縄や広島の平和研修に参加したが、そこは日本が被害者であった。しかしフィリピンで初めて、日本が加害者であることを痛感する場所を訪れた。私はそこで日本が外国にしたことを目の前で突きつけられたのである。衝撃と痛みを覚えた。フィリピンの方が話しづらいけど、と言いながら歴史を教えてくれた最後に、「あなたがたに申し訳ないと思ってほしくない。日本はフィリピンに対して酷いことをしたかもしれないけれど、その後たくさん良いことをしてくれた。」と言われた。私はその話を聞いて、申し訳ないと思うと同時に、自分が知らなかったことを恥ずかしく思った。その後フィリピンと日本の友好の象徴として握手をした。その手がとても温かく、大きな赦しで包まれたような気がした。握手してもらったこと、お母さんに抱きしめてもらったこと、それは全てを包んでくれるような温かさであった。

 私は、11 日間の活動の中で、多くの素晴らしい経験をし、多くの人に出会うことができた。このことに感謝するとともに、私にとって、フィリピンが遠い国ではなく、あの温かさがある場所に変わった。

私の当たり前が通じなかった
河津菜々子 文学部 英文学科
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 マニラ空港に着いた時、フィリピンって綺麗じゃん!めちゃくちゃ都会!と思ったのが私の本音でした。しかし車を走らせると道もだんだんと細くなり、薄暗くなっていきました。約3 時間車に乗って到着した町で一番衝撃的だったのが水回りで、トイレは便座がないと聞いていたものの、お風呂がシャワーではなく、蛇口からトイレを流す水と同じ水ということでした。

 活動で初めてペンキ塗りをして、塗るところが多く、天井を塗るときは身体がきつかったですが、現地の方が丁寧に教えてくれました。この作業を同世代の子が慣れた手つきでやっているのを見て、これはこの町にとって当たり前のことなのだと思いました。作業中に「専攻は何」と聞かれ、英文学と答えると「なら将来は先生になるの?」と言われました。違うよと答えると相手は驚いていて、「ならなぜそれを専攻したの」と聞かれ、文学を通して文化を学んでいる、と答えても納得して貰えませんでした。ここの方たちは将来したいことが決まっているから大学に行くんだ、と大学に入ってから将来することを決めようと思っていた私は恥ずかしく思いました。

 また屋台で春巻きのような食べ物を売るお仕事を体験させていただきました。その家のご主人は以前日本に出稼ぎにいっており、次はまた他の国に出稼ぎに行くと仰っていました。小さい子どもが3 人いるのに離れて暮らして家族を養う大変さを知りました。

 フィリピンの方は教会に集まって、家族のように隣人と仲が良く、子どもたちも全員顔見知りで友だち。教会のような機会があるため笑顔が多くていつも幸せそうに過ごしているのではないかと思います。

 日本では当たり前のことが当たり前ではないということが、この活動で改めて実感したし、笑顔でいることは自分もそして周りの人も幸せにできる力を持っていることが分かりました。

これこそが幸せの原点では
木下実紘 人間科学部 社会福祉学科
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 「幸せはいつも自分の心が決める」相田みつを 
 この言葉のように、幸せは、周りの環境によって決まるものではなく、自らが作り出すものであることを、フィリピンの人々との出会いを通して学び、実感できたように思います。

 ボランティアに参加する前は、日本のような快適な環境が幸せの土台にあると感じていました。食べ物がおいしい、学校に通える、衛生環境が整っているなどが幸せの基準の多くを占めていました。そのため「貧困」という現実は、幸せから遠いところにあるような感覚が自分の中にあったような気がします。しかしフィリピンの人々は、底抜けに明るく、優しく、そしていつも笑顔でした。私の中の、暗く閉ざされたような貧困のイメージは大きく覆されました。そして今まで、モノや他者との比較によって幸せを感じていた自分にも気づかされました。言い換えれば、自分にないものや自分ができないことばかりに注目し、コンプレックスを抱いたり、嘆いたりすることが多く、本当の意味で自分自身の幸せを感じることができていないのではないか、ということに気づかされた気がしたのです。フィリピンの人々のようにいつも明るく、小さなこと一つ一つに喜びを見出す生活こそが幸せの原点なのではないかと思えました。

 また、私にとって今回の参加は大きな挑戦でした。私は周りの目を気にし、自分で行動範囲を狭めるようなところがあり、これまでなかなか新しいことにチャレンジすることができませんでした。そんな自分を変えたいという思いから応募したこのボランティアでしたが、多くの人々との出会いや現地でしか得られない貴重な経験など、そのすべてが私の人生の財産になりました。私自身の幸せの在り方を見つめ直し、周りに幸せを与えられるような人になりたいです。

続きはこちら▼
【フィリピン】西南学院大学 ワークキャンプ体験記2へ

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2020年02月28日

【HOLPFIより報告】火山被災者に緊急支援


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【出展:INQUIRER.NET Facebook  ロウレルタウン/バタンガス州】

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1月12日に起きたタール山の火山活動は下火になっていますが、マグマは依然活動しており再噴火の可能性は消えていません。続きはハンガーゼロサイトから

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2019年04月25日

【フィリピン】HOLPFI 困難に立ち向かうマイの人々


ハンズ・オブ・ラブ・フィリピン HOLPFI 困難に立ち向かうマイの人々

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分校から本校開設へ一歩
 2017 年10 月よりピナマラヤン県サファ村小学校のマイ分校としてスタートして、はや1年半が過ぎようとしています。その間、村のリーダーと教育省との話し合いで、将来的な必要から分校ではなく、本校として開設するための可能性とその準備が進められてきました。実際、本校とは距離も離れており分校と言うこと自体に無理がありました。

詳細はハンガーゼロサイトから

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2018年07月28日

フィリピンでも台風被害が拡大(酒井駐在員から)


当機構がフィリピンのミンドロ島に派遣している酒井保スタッフ(HOLPFI代表)から台風被害の報告が届きました

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2018年04月27日

【フィリピン】バルナバプロジェクト


バービン小学校図書館 建設現場を訪問

今回で5回目の訪問となる大阪シオン教会のバルナバプロジェクトに同行し、国際飢餓対策機構フィリピン( F H P )の支援地域であるビコール地区スラに5日間滞在しました。
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2017年10月10日

【フィリピン】ビコール地域で異文化実習(東京基督教大学)


 2017年7月10日〜8月4日、東京基督教大学の学生2名と共にFHフィリピンが活動 しているビコール地域で、異文化実習を行いました。これは大学の授業の一環で、異文 化の地に「訪問」ではなく1ヵ月間、「滞在」して現地の活動に参加し、一人の生活者と して異文化を体験することを目的としています。私は引率者として、同行させていただ きました。普段FHフィリピンのスタッフがしていることを一緒にする事で、私もフィリ ピンでの支援活動の難しさや困難を体験し、様々なことを考えさせられました。 学生たちの体験談を紹介させていただきます。(吉田知基)

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2017年07月08日

【フィリピン/HOLPFI報告】子どもたちを学校に行かせたい


フィリピン・ミンドロ島サバン村マイ地区におけるハンズ・オブ・ラブ・フィリピン(=HOLPFHI)の新たな支援について酒井保・慶子駐在員からの報告です。

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2017年05月09日

【フィリピン】待望の2つ目の教室が完成


 2017年3月28日、フィリピン、サマール島マラブット地域にあるマブハイ小学校で2つ目の教室完成を祝うセレモニーが行われました(1つ目は2015年8月完成)

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2017年03月17日

【フィリピン】台風被害の学校再建を


 2013年11月の巨大台風30号(現地名:ヨランダ)は、フィリピンのレイテ島やサマール島に甚大な被害をもたらしました。当機構は皆さんのご協力を受けて、食料や復興支援ボランティア派遣をはじめ様々な支援活動をさせていただきました。

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2017年01月24日

【フィリピン】台風被災者38家族に家屋建設資材を支援


 2016年年末、大型台風26号がフィリピン中部を通過、28日には、132908家族(602770人)が被災しました。

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2016年12月29日

【フィリピン】台風による強風で家屋が甚大な被害


 2016年12月25日にフィリピンを直撃した台風26号(現地名:ニーナ/アジア名:ノックテン)の影響で、家屋や農作物の被害が広がっています。被害状況の詳細はいまだ明らかになっておりません。当機構が飢餓対策機構フィリピン(以下、FHフィリピン)を通じて支援しているビコール(スラ、マトノグ)地域やハンズオブラブフィリピン(以下、HOLPFI)が活動しているミンドロ島も被害を受けています。

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2016年11月07日

【フィリピン】子どもや家族との交流から学んだこと(西南学院大学)


 2016年8月13日~23日、西南学院大学法学部の学生13名と引率ヘルプ1名と共にFHフィリピン(国際飢餓対策機構フィリピン)の活動地、ナボタス市のタンザ地域を訪問しました。

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2016年10月21日

【フィリピン】ミンドロ島村落開発プログラム


 前回、前々回の記事につづいて、昨年2015年度世界食料デーのために全国の皆様から寄せられた募金の報告をさせていただきます。募金合計額は15,178,882円でした。これらの募金は、6ヵ国の子どもたちの教育や給食支援、地域の自立開発、国内避難民の方々のためなどに用いさせて頂きました。今回はフィリピンでの活動について報告いたします。

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2016年07月22日

【フィリピン】小学生256名への健康プログラム


 フィリピン・ルソン島の南東に位置するビコール地域で、子どもたちへの教育支援を行っている、FHフィリピンはスラ地区にあるバービン小学校で、健康プログラムを実施しました。

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2016年04月08日

【フィリピン】感謝を忘れず分かち合える豊かさ


 フィリピン最大の漁港を持つナボタス市は、マニラ空港から約20km北西に位置します。国際飢餓対策機構フィリピン(FHフィリピン)は、度重なる洪水被害に苦しむこの町の方たちと共に歩み、支援を続けてきました。2016年2月26日〜3月7日まで、このナボタス市及びサン・ロケ地域で福岡市の西南学院大学の学生たちがワークキャンプを行いました。

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2015年10月26日

【フィリピン】ファシリテーター・トレーニングキャンプ(2015)報告


 7月29日から8月7日、9名の参加者と共に、首都マニラやJIFHのパートナー団体ハンズ・オブ・ラブ・フィリピン(HOLPFI)の活動地、ミンドロ島にあるシド村とプエルトガレラに滞在させていただきました。シド村での4日間の滞在中、開発の手法の実践、村に住む原住民マンヤン・アラガン族の方々との交流、講義などを通して、それぞれが多くの気づきを与えられました。またリゾート地プエルトガレラに移動し、マニラで路上生活や性的虐待などで虐げられた子どもを保護し、都会から離れた環境の良い場所で社会復帰のためのリハビリをおこっている施設で二泊。そこで、都市部と地方の貧困の問題について学ぶことができました。(広島事務所:木村カナ)

以下、今回参加した、近藤さんからの感想です。

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2015年04月22日

【フィリピン】タワービル地域を支え続けたFHフィリピン


 2015年2月26日~3月9日に西南学院大学が主催するフィリピン海外ボランティアワークキャンプが実施されました。キャンプに同行した吉田から以下レポートです。

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2015年03月02日

【フィリピン】子どもたちの教育現場の課題を実感(報告:小堀英郎親善大使)


JIFH親善大使の小堀英郎さん(ピアニスト)とManamiさん(歌手)が昨年11月に当機構の活動地フィリピンを訪問。Manamiさん(記事:都会の貧困を目の当たりにして)に引き続き、今回は小堀さんの訪問記を掲載いたします。

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【写真:子どもたちと小堀親善大使(左)】

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2015年02月16日

【フィリピン】サンアンドレス村での教育支援と生活改善(2)


  収入改善支援プログラム

レポート:酒井保駐在員

 フィリピンの成人識字率は92%前後、そして比較的男女同等の教育機会が与えられていて、女性の社会進出率も大です。4年間だった中高等教育が改善され、2013年より基礎教育7年、中・高等教育6年、大学4年となりました。

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【写真:補修授業プログラムに参加する村の人々】

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2015年02月13日

【フィリピン】サンアンドレス村での教育支援と生活改善(1)


  キーワードは価値観の変革

レポート:酒井保駐在員

 日本国際飢餓対策機構を通して皆さまのご支援を頂き、ハンズ・オブ・ラブ・フィリピンが教育支援と地域開発に関わって6年が過ぎました。フィリピンで子どもが学校に行けない大きな理由として貧困があげられます。しかし家庭の価値観の方がより大きな影響を与えていると私たちは認識しています。

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2015年01月09日

【フィリピン】都会の貧困を目の当たりにして(Manami親善大使)


 当機構の親善大使Manamiさん(歌手)小堀英郎さん(ピアニスト)が昨年11月に当機構の活動地フィリピンを訪問。今回はManamiさんの訪問記を掲載いたします。

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2014年07月07日

【フィリピン】人の成長は、ウンティウンティ(ゆっくり確実に)


 フィリピンのミンドロ島サンアンドレス村でのコミュニティ開発も今年で7年目に入りました。ゆっくり、確実に人々が育っています。

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【写真:支援を受けることができるようになった中学生たち】

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2013年07月01日

【フィリピン】子どもたちの小さな変化という第一歩


 5月下旬には世界里親会の支援先である、フィリピン・ビコール地方のスラ、マトノグ地区、そしてミンダナオ島ティボロ村の3か所を訪問してきた碓井スタッフの報告です。

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【アポセンターの子どもたちと碓井】

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2013年05月20日

【フィリピン】明るい未来を信じて勉強に励むアポセンターの子どもたち


 ミンダナオ島のダバオ市内から車で3時間余行くと、フィリピン最高峰アポ山の中腹(標高約1,200m)にあるティボロ村に到着します。今回はこの村で世界里親会の里子支援を受けている子どもたちの生活をご紹介いたします。

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【里子たちの通っているティボロ小学校】

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2013年05月13日

【フィリピン】世界里親会・アポセンター活動報告


 ミンダナオ島のフィリピン最高峰アポ山の中腹(標高約1,200m)にあるティボロ村では世界里親会を通じて里子支援が行われています。里子の通っているティボロ小学校で2012年に行われた主なプロジェクトを紹介いたします。

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2012年08月01日

【フィリピン】子どもたちの夢を乗せて快走中


 いつもフィリピン、ミンドロ島、サンアンドレス村のためにお祈りとご支援を心から感謝致します。活動を始めて4年が過ぎました。 サンアンドレス村の持続可能な開発プログラムの一環として、子どもたちの教育をどう支援するかというところから始まった、スクールバスプログラムへの支援は、第一期目が終わりました。スクールバスのプログラムを3年間支援して下さり、本当にありがとうございました。村にはハイスクール(小学校6年の後の4年、日本の中学校に当たります)がなく、ジプニー(小型乗り合いバス)で片道3時間かかる町の学校に行くには、寮や親戚の家にお世話になるか、また進学をあきらめるしかありませんでした。

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