2023年10月13日
戦禍のウクライナ・ハリキウから日本に避難
【ウクライナ難民のナタリアさん】
ロシアのウクライナへの攻撃後、日本は初めて戦争から逃れてきた人々を正式に受け入れてくれました。私たちはウクライナ人に援助の手を差し伸べてくれた日本政府、ハンガーゼロ、グレース宣教会(身元引受教会)の皆様、そして思いやりのあるすべての日本の皆さまに感謝します。私たちが、神の恵みによってこの美しい国に住み始めてから一年が経ちました。私たちがウクライナで見たこと、聞いたこと、経験しなければならなかったことはたくさんありますが、簡単にお話しします。
早朝に爆発音
2022年2月24日の朝5時、私たちは、爆発音、そして軍用重機の動く音で目が覚めました。ハリキウはロシアとの国境から40㎞に位置しており、私たちは戦争のをいち早く体験しました。私たちはチョコレートバー、水のボトル数本、応急処置キットなど僅かなものをバックパックに詰めて、寒くて暗い地下室に隠れました。食料品店や薬局は閉鎖され、交通機関は停止し、通信は遮断されました。間違った情報、恐怖、突き刺すような冷たさがありました。密閉され、寒く、換気されていない部屋に大勢の人々が集まり、次々と体調を壊しました。
攻撃が少し落ち着いたとき、娘と私は食料品を買いに出かけました。列を守っていると、突然ホイッスルが聞こえ、そして何度も何度も砲撃音が聞こえました。ロケット弾が私たちの頭上を飛び、隣接する9階建てのビルが直撃されるのを見ました。死の恐怖、破壊、断続的に鳴る緊急警報システム、自由な移動ができないこと、私たちにとって困難で本当に長い時間でした。
しかし神様の導きで、私たちは奇跡的に知人のクリスチャンに出会い、日本への避難を手伝ってもらうことができました。親戚と別れ地元を離れるのは困難な決断でしたが、私たちは神を信頼する決心をし、今ではそのことに非常に感謝しています。私は娘マリヤと一緒に、7月10日にハリキウを離れることができました。ハリキウからの出発を予定より一日早めたことは、その後に起こった数々の奇跡の一つでした。翌日、停留所に向かう途中で大規模な砲撃がありました。神様に栄光あれ、私たちは生きていて無傷です。
ウクライナでハンガーゼロの活動に参加したナタリアさん(右)
温かく迎えていただき感謝します
ハリキウから私たちはリヴィウ(当時最も安全だったウクライナ西部の都市)まで車で向かいました。それからハンガーゼロ緊急支援チームの助けでポーランドのワルシャワまで行き、日本大使館で日本への出国書類を発行してもらいました。そして私たちは今ここ日本にいます。そこで私たちは歓迎され、保護され、必要なものすべて、そしてそれ以上のものを与えられています。私たちを温かく迎えてくださった皆様に心から感謝いたします。
文・ナタリヤ・コプトセバさん(60歳)
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