2011年04月30日

流された白い十字架が戻る(気仙沼)


(4月27日気仙沼、広報・鶴浦)
「ここは津波の危険があるから宮城県から2年間は建築物が建てられないという公示がでました。だから規制のかからないプレハブ店舗のようなものでもいいから教会堂にできないかなって思ったりするんです。営業中って看板出してね(笑)」独特の高いトーンの声で気仙沼第一聖書バプテスト教会・嶺岸浩牧師は明るく笑う。

「地震が大きかったので、すぐに教会を出て直線距離で150メートル位の海まで確認にいったんです。そしたら警報が鳴ったので、これは津波が来ると思ったので、私は係でも何でもないんですが、少しでも水の進入を防ごうと思って堤防の鉄製の扉を閉めようとしたんですよ。でも地震で重たい扉の蝶番がずれてしまって動かなかったんです。だから諦めて教会に戻りみんなで逃げました」その後に押し寄せた津波はその堤防を遙かに超えて地域一帯の建物をことごとく流し去った。教会のそばにあった2階建ての住宅は、土台ごと100メートル近くも流されていたという。
「キリストの復活を祝うイースターの日曜日の早朝(4月24日)、ここで家内と二人で大きな声でイースターの賛美をしていたら、ご近所の方が、これ教会さんの写真でしょう、って言ってわざわざもって来てくださったんですよ。それはみんなで撮った集合写真でした。先日、飢餓対策やボランティアのみなさんに瓦礫を取りのけてもらい、木の十字架を立てていただいた後で、もともと教会につけていた白い十字架(鉄製)を瓦礫の中から誰かが見つけて、ここまで運んでくれたんですね。これにはびっくりしましたよ。本当に嬉しかったです。いつもここでお祈りしていますから」この地域の復興のために十字架に希望を見いだしたのは牧師だけでなかったのもしれない。希望の証は、戻った白い十字架とともにこれからも人々の心に希望の灯火となることだろう。牧師と手を握りやがてこの教会もキリストのように復活の朝を迎える日を祈らせていただいた。
嶺岸先生2.jpg
 この日の午後、教会堂を失った第一聖書バプテスト教会の仮の集会場ともなっている印刷会社(愛隣社)横の駐車スペースで同社スタッフや教会員とともに、地域の被災者に物資配布を行った。この配布には、当機構とともに被災者支援を継続中のパン・アキモトも参加、午前中に岩手県の陸前高田町などの2ヶ所の避難所をまわってから、気仙沼にはいった。秋元社長は、親戚の伊藤さんを伴い、トラックで運んできた焼きたてパンやパンの缶詰、牛乳、イチゴなど集まった人々に声をかけながら手渡した。それぞれ渡された段ボールの空き箱にパン類や果物、衣類、衛生用品、米、野菜類(JIFH提供)などを持ち帰っていただいた。こうした地域の被災者への物資配布はこれまで数回行われており、教会や印刷会社も自ら被災しながら、それでもなお地域の人々の助けに応えたいとの強い思いでこの活動を継続している。
 物資を受け取った魚市場前に住む女性の一人は「自宅は全壊ではなかったのですが、残ったのは柱と屋根だけでした。泥だしはどうにか家族と知り合いの助けできました。いまは職を失った夫が一生懸命やっています。津波が来る直前、身体のきかない両親を助けて3階建ての高い建物に逃げ込みました。そこには70人位の方が逃げていました。でも下からは津波、上は大火災でまさに火の海となっていたので、翌朝消防に助け出されるまでほんとに怖かったです。ライフラインはまだで、瓦礫の下の遺体捜索が続いています。今日いただいたもので近所の方といっしょにご飯食べようと思います。皆さんありがとうございました」と笑顔でその場をあとにされた。被災からまもなく2ヶ月をむかえようとする中、まだまだ復興の手前で今日も懸命に命をつないでいる人たちの現実に目を向け続けていかなければならない。
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気仙沼パンアキモト.jpg
秋元社長は今後も応援を約束(右に嶺岸牧師、左は親戚の伊藤さん)
27日、陸前高田と気仙沼でパン・アキモトが届けた支援内容。パン以外は同社の関連企業や協力団体からの提供。
パンの缶詰 1200缶
救缶鳥     300缶(二食分)
食パン     300斤(二食分)
げんこつパン  300個
牛乳      1000本
イチゴドリンク  60本
6Pチーズ    240箱
イチゴ      100パック
陸前高田アキモト.jpg
気仙沼町牧田の漁民センター(80人が避難生活)にて、「牛乳の配給はこの日で震災後2回目です。たくさんの食べ物ありがとうございました」(避難所ボランティア)

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