巷には様々な外国語があふれています。生活に必要なものの多くを輸入に頼らざるを得ない日本にとって、また諸外国からの観光客が増えている現在、ある意味で当然のことかと思います。しかし日本が世界に発信し、定着している言葉も少なくありません。例えば「カラオケ」。「交番(KOBAN)」、「津波(TSUNAMI)」もそうです。もう一つ付け加えるべきは「もったいない(MOTTAINAI)」でしょう。ケニアの元環境大臣であったワンガリ・マータイ女史が日本でこの言葉と出会い、その言葉の奥深さに感動し、いま世界に必要なのはこの「MOTTAINAI」の精神だとして、国連でこの言葉を共通語にしようと提唱したのです。
【写真:ケニアのシープケア学校】
その我が国において「もったいない」は聞かれなくなってきているように感じるのです。私は自分が嫌いなおかずでも、残したら「もったいない」と母に叱られました。茶碗にご飯粒が残っていると「もったいない」といわれ、最後の一粒まで食べました。近頃は生活のスタイルの変化からか、「いただきます」も「ごちそうさま」もない食卓が、ごく普通の家庭でも増えてきているそうです。身近な食卓の変化が、食べることができる有り難さや、食べ物が与えられている感謝、それを作ってくださった方々、いやそれらすべてを備えて下さる神様に対する「ありがたい」という思いが廃れていってしまう原因の一つになっているのではないかとも思います。
当機構の活動に携わるようになって、さまざまな国を訪問する機会が与えられ、実に素晴らしい経験をさせていただきました。その中で、やはり忘れられないのは某国の最貧と言われる地域で懸命に生きる子どもが、提供されたわずかな給食を、自分も食べたいであろうに、一部を残し自分の弟妹に分かち合っている姿でした。感謝の祈りをささげ、それを分かち合い、最後の一粒まで残さず食べている姿と、その時の笑顔。かつて私たちの国にもあった、物があふれる贅沢ではなく、少ないものでも分かち合う「豊かさ」を見ることができたのです。
今、心から思います。その豊かさを取り戻さねば、と。そしてそれは、私たち一人一人の小さな食卓から始まるのだと思います。小さな「もったいない」から分かち合いは生まれ、世界が真の豊かさに笑える時が来てほしいと思います。我が家の食卓では「もったいない」が今も言われています。そうです。「わたしから始める、世界が変わる」なのです。
日本国際飢餓対策機構 理事長 岩橋竜介
(9月号巻頭言No.326)