アンニョンハセヨ!
東北から大阪に帰って来て一週間が過ぎました。
GWの十日間、東北に行って来ました。
大阪に帰ってきましたが、毎日東北で出会った方々が思い出されます。
一、二回しか会ってないのにこんなに懐かしいのは、
大変な時に一緒にいたからでしょうか。
私の日記から東北で出会った温かい出会いを紹介したいと思います。
4月29日(金)
大阪から12時間夜行バスに乗って仙台に到着。
仙台では何事もなかったようにたくさんの人々が普通に
市内を行き来していた。
津波が来たことがまだ、実感できない。
車に乗って20分くらい走るといきなり風景が変わった。
言葉が出なかった。
目の前にしているのが、事実なのかまだ信じられなかった。
5月3日(火)
「妻は津波に流されて死にました。
この庭は妻が一生懸命手入れをしていたんですが...」
津波によって滅茶苦茶になった庭で
瓦礫を家のおじさんと一緒に袋に入れながら...
おじさんはおっしゃった。
粉々になった思い出...心...それを癒すことが出来るなら、
愛する人に再び会えるなら...
出しても、出しても、終わりが見えない泥だらけの家が
少しずつ片付いていった。
復興には10年以上という時間がかかるそうだ。
時が過ぎたら、奥さんを亡くしたおじさんの心も片付くのだろうか。
5月4日(水)
津波で浸水した1階の床はがしや、庭の片付けを
ボランティアの皆さんが一生懸命されて、
元通りになってきた。
ボランティアがその家で働いて4日間くらい過ぎただろうか、
仲良くなった、その家の温かいお父さん、お母さん。
今日は明るい息子さんがお昼、ギターを持って来て
私たちにすばらしい歌をプレゼントしてくれた。
「一緒に歌いましょう!
レット・イット・ビー!!」
その心が伝わってきて胸がいっぱいになった。
「津波で全部流されたけど、こんなステキな出会いがあってよかったわ。
本当にありがとうね。今度いつでもまたおいで。」
握った手が暖かい、いつも笑顔のお母さんがおっしゃった。
5月5日(木)
寂しくて、広い野原、津波の後。
「一瞬で津波がやってきて、家内と何十年ぶりに抱き合って
テーブルの上で12時間、腰まで水に浸かっていたよ。
本当に、寒くて怖かった。」
今までずっと耕して来た畑が今は、泥だらけになった。
泥だらけになった畑は10年以上は使えないそうだ。
しかし、おじさんはそれよりも、まだ見つかってない町の子どもを、
おばさんをずっと心配していた。
「休みながら、やって。
お母さんが心配してるよね。
こんなとことまで、来てくれてありがとう。」
ずっと優しく声を掛けてくださったおじさん。
一日で、おじさんとの出会いは終わったが、涙を流しながら、ありがとう!また、いつでもおいで。
と言ってくれた優しい声が耳に残っている。
一人一人の小さな心が、
小さな祈りが集まって大きな川になり、
一粒の涙が大きな川になり、
一人の心を潤すことができるなら...
GWでたくさんのボランティアが集まってきました。
しかし、今は減っています。
悲しみを分かちあうこと、
心を分かちあうことより大きな力はありません。
今も、あの場所があなたの小さな力を必要としています。
美しき出会いが待っています。
(姜 恵媛)