2013年03月11日

震災2年 被災地に移り住んだ元スタッフからの便り


「東北の人々の復興に夫婦で寄り添い続けたい」と結婚を機に宮城県・亘理町に移り住んでいる当機構元スタッフの川口亮子さん(旧姓小島、愛称カーコ)に、被災地での暮らしの中からいま感じることを綴ってもらいました。夫の川口真さんは、東北被災者支援活動で長期の大工ボランティアとしてとくに壊れた家屋の泥だし、修復などの過酷な現場での献身的な働きを続けてくださいました。



 2年前のちょうど今頃。この時はまだ誰も、あんな恐ろしい災害が起こるとは思っていませんでした。3月11日午後2時46分のその時が来るまでは...。

 私は当時、日本国際飢餓対策機構(JIFH)の愛知事務所で働かせて頂いており、名古屋で勤務をしていました。突然グルグルと目まいがするような横揺れの地震が起こりました。長く不気味な揺れが続き、まるで船にでも乗っているような感覚でした。揺れがおさまってすぐにテレビをつけると、ニュースに次々と出てくる緊急地震情報、大津波警報の発令、ニュースキャスターの動揺した様子に、何かこれからとてつもなく恐ろしい事が起ころうとしているような、言いようもない恐怖に駆られた事を今でもよく覚えています。

 それからの日々は、一体自分がいつ起きているのか、いつ寝ているのか、よくわからない状態が続きました。JIFHでは緊急災害支援に動きだし、昼夜兼行で様々な対応に追われました。とにかく「一人でも多くの方々の力になりたい」という一心で、スタッフ全員が身を粉にして働きました。テレビをつける度に、現場でのスタッフの情報を聞く度に、心臓が締め付けられるような思いがしてなかなか眠れない日々が続きました。

亘理の海辺の被害.jpg

 震災から約1ヶ月の4月、私はスタッフの一人として被災地に入りました。初めて津波の現場を目の当たりにし、信じ難い光景にしばし呆然と立ちすくんでしまいました。状況のあまりのひどさに「何かをしなければ...」と焦る思いが先走る一方、私には目の前にある大きな瓦礫を運ぶ力もなく、被災された方々をどのように励ましたらいいのかもわからず、力も知恵もない無力な自分がとにかく悔しくて仕方ありませんでした。しかし、私一人の力では限りなく無に近かったのですが、多くのボランティアの方々が集まると、それはたちまち大きな力に変わりました。

悲惨な中で輝く人々

 瓦礫の撤去、家の泥だし、炊き出など多くの事をみなさんでさせて頂く中で、私は「人間」という生き物の本来の姿を見たような気がしました。人々が助け合い、共に笑い合い、共に涙し合う...。いつの間にか私たちが忙しい毎日の生活の中でどこかで忘れてしまっていたような光景でした。「きっと神様は元々このように人をお創りになったのだろうなぁ...」とハッと気づいた時、嬉しさと目の前の悲しさでたちまち目の中が涙でいっぱいになりました。あの時に見た人々の姿は、今までに見た一番悲惨な環境の中で働く、一番美しい人間の姿だったように思います。私の目には、泥にまみれて色のない背景の中、誰かのために懸命に働く人々だけが、鮮やかに光輝いて見えるコントラストとして映し出されました。 

元に戻るだけが復興ではない

 あの震災から2年経った今、私は宮城県の亘理町という小さな町に住んでいます。そう、まさに2年前のあの日に津波が押し寄せた場所です。同じ名古屋出身の、同じ被災者の方々に思いをもつ夫と結婚をし、夫婦で東北に移り住んできました。主人は震災後に誕生した「亘理聖書キリスト教会」のスタッフとして働き、今も頻繁に亘理町の仮設で炊き出しを行っています。そして私はというと、もっとこの亘理町の方々と密接にかかわっていきたいという思いから、近所で子どもたちの英語教室を開かせて頂いています。教室にやってくる子どもたちの中には、仮設や借り上げアパートからやってくる子もいます。しかし、英語教室の中で子どもたちが元気に遊ぶ姿や、お母さんたちの笑顔を見ると心底ホッとします。私の持てるものでこの大切な子どもたちが少しでも元気になれる場所を提供できるなら、こんなに嬉しい事はないと思います。東北に来て本当に良かったなと思います。

亘理のカーコ焼き鳥.jpg

 今まで「復興」という言葉は、「再び元に戻る事」だと思っていました。流された家々が建て直され、店が再びオープンして活気が戻り、まるで震災なんてなかったかのように生活できるようになる事が地域の人々にとって良い事なのだと思っていました。でも実際に被災地で生活してみて、それだけが復興の定義ではないと思うようになりました。この大震災によって家や仕事、思い出や故郷、そして大切な友達や家族を失った人々は、今も大きな痛みを抱えています。海岸沿いの表面だけを見ればまだまだ多くの爪痕が残り、復興が進んでいないようにも見える町ですが、亘理の人々は前を向いて助け合って懸命に生きています。

 だから私はこの町が復興していないなんて思いません。復興とは目に見えるものだけではなく、目に見えないものの中にこそ本当の復興があるのだと気づいたのです。きっと復興とは「痛みを知った人々が勇気をふりしぼって前を向き、その姿を見た人々が力をもらいそれが他の人にも伝染していく事」なのではないかな、と実際にこの町に住んでみて思います。

忘れない事こそ

 今生かされている私たちができる事、被災していない私たちが被災者の方々のためにできる事、いや、すべき事があると私は思います。それはきっと「忘れない事」です。でもこれは簡単そうで実はとても難しい事だという事は、みなさんがもうご存知の事だと思います。目の前の生活に心を奪われてどうしても被災者の方々に対して無関心になってしまうなら、ぜひ被災地に来て実際に津波が残した悲惨な爪痕を見て下さい。そして今も痛みを持っている方が懸命に頑張っておられる事を知って下さい。どうか、皆さんの応援する思いや祈りが被災地で大きな復興への力となる事を知って下さい

 「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(コリント人への手紙第2 4章18節)

川口亮子&真 2013年3月

真&カーコ.jpeg

当機構は、亘理聖書キリスト教会が続けている亘理町の仮設住宅支援、地元漁師さんの復興支援などを応援しています。

ぜひ皆様からの応援をお願いいたします。

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