NO.211
特命大使 神田 英輔

香淳皇后の感謝の歌碑(神奈川・横浜港にて)
先日、横浜港で興味深い石碑を見ました。昭和21年11月30日に「ララ物資」と呼ばれる支援物資の倉庫を天皇・皇后が行幸された際に、香淳皇后が詠まれた感謝の歌二首が刻まれたものでした。
第二次世界大戦後、物資が極端に不足し、多くの子どもたちが栄養失調に陥っていた日本に、米国のキリスト教団体が「日本の子どもたちを救おう」と全米に働きかけて、ミルク類、穀物、缶詰、油類の食料をはじめ、衣類、医薬品などの消費物資の他、乳牛、山羊など、当時のお金にして400億円相当の援助物資を送ってくれたことに感謝したものです。
今でこそ、飽食・物余りを謳歌している日本の私たちですが、数十年前には食べることにも事欠いていたのです。「過去を水に流す」ことの得意な日本の私たちは、このような歴史的事実すら伝えることにあまり熱心には見えません。
歴史の教訓は貴重です。歴史から学ばない者は同じ間違いを繰り返します。困ったときに助けてもらった…だから自分も困った人々を助けてあげよう。自分にして欲しいと思ったことを、他の人にもその通りしてあげよう。これが黄金律といわれている人類最高の知恵です。「人」は支え合わなければ生きていけない存在だからです。
日本の「お互い様」という精神がこれに近いものではないでしょうか。相互依存の精神と言っても良いでしょう。歴史を振り返るとき、どんな強い栄えた国家もやがて衰退していったという事実、どんな人間もやがて老いて死んでいったという事実を忘れてはなりません。栄枯盛衰は世の常です。今の日本の飽食もまもなく終わりを迎える時が来るのです。力のある豊かなときには、弱い人々を助けることに精一杯励む…このような生き方を身に付けなかったら自分が貧しく弱くなったとき、助けてもらうことは期待できないでしょう。
「今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです」
「ララ物資」についてのご指摘をありがとうございます
「ララ物資」の内容について支援者のお一人から「少し事実と異なる。ララ物資はキリスト教団体が働きかけたのではなく、事実はアメリカ在住のジャーナリストであった一人の日本人(浅野七之助氏) が呼びかけて行ったものです」とのご指摘をいただきました。
記事に不正確な部分があったことをお詫びしますと共に、ご指摘をありがとうございます。
飢餓対策ニュースは皆様と共に作り上げる、より良い情報発信の場でありたいと願っております。お気づきの点あれば、これからもどうぞお知らせ下さい!
以下「日系 人の夜明け 在米一世ジャーナリスト・浅野七之助の証言」(著:長江好道)より抜粋です。
「浅野は…1945年9月頃から日本難民救済会を組織し、集めた浄財で物資を買い、海外事業篤志団アメリカ協議会を通じて日本戦災難民に送ろうとした が、送れない事がわかった。そこで浅野は、川守田牧師らを通じて宗教団体に働きかけ、アメリカ大統領管轄下にあった救済統制委員会に日本難民救済会を公認 団体にしてくれるよう要請した。…浅野らの希望は、1946年6月初旬にやっとかなえられ、…ララの認可にともなって日本難民救済会の運動は、徐々に南北 アメリカ大陸に拡がっていったのである」。