
世界食料デー高岡大会が、2007年11月10日に高岡バプテスト教会で開催されました。
今年のテーマは「世界と地球の困った現実」・「貧困や困難な環境の中で生きる子どもたちへの支援」です。今年も、国際協力に関する基調講演、現地報告、鮮魚等のチャリティー即売会が行われ、さらに教会学校の子供達による賛美もありました。
国際協力に関する基調講演は、「私たちの生活と国際協力」と題して定村 誠氏(とやま国際理解教育研究会 代表、AJA FOUNDATION 事務局長)が約20年前に青年海外協力隊で理科教師としてガーナに赴任された経験や現在活動されていることに基づいて講演されました。
ガーナでは、子供たちがカカオ農場で農夫として、また漁師として働き家庭内では現金収入源としてあてにされ、社会的には優秀な低賃金の労働供給源になっている。したがって、学校へ行けない子供達が多くいる。
学校では、教科書が非常に高価で購入が困難なため、教科書を写す教科書作りが授業の大きな柱となった。ノート、鉛筆、ボールペン等の筆記用具も高価なため、子供たちはボールペンで書き損じないように必要最小限のことのみノートをとる状態で、非常に制限された中で授業を受けている。
このような状況下で、定村先生はAJA FOUNDATION を設立されました。AJAはガーナ語で「おじさん」という意味で、あしながおじさんをイメージしたとのことで、子供たちの就学機会が増えるように学校に行けない子供達への支援、学習がスムーズに出来るようにと筆記用具の寄付を行うガーナ版あしながおじさんとして活動されているとのことです。
国際社会の様々な問題は私たちの日常生活と意外にも密接に関与しており、市場原理に基づいた安価な輸入食品を求めることは、児童労働を促すことになっている。例えば、児童労働による商品の不買運動は、私たちが変わることであり、私たちの変化が子供達への影響となって現れるとのことです。私たちの生活志向が途上国の人たちの生活と密接に関連しており、「現地で必要とされていることを応急手当すること、そして現況を理解すること」が大切であると締めくくられた。

現地報告は、「カンボジア報告」と題して浜名マリヤ氏(日本国際飢餓対策機構スタッフ)がカンボジアでの取り組み状況を報告されました。
カンボジアの首都はプノンペンで、きれいに整備された都市であり、カンボジア国民にとってアンコールワットは、なくてはならない心の故郷(寺院)であり、街のいたる処に小乗仏教の寺院があり、お寺への寄進は欠かさない信仰深い国民性とのことです。
しかし、郊外の農村地区は貧しい生活が営まれている。カンボジアは、乳幼児の死亡率が東南アジアで最も高く、その原因は飲み水、トイレがないこと、衛生概念の欠如であることが判明し、1990年代よりまず、井戸作りに着手して完成し、その後、村の方々の協力により共同トイレを建設しました。しかしながら、井戸、トイレを使用することは従来の慣習と比較すると非常に面倒なことから、なかなか有効利用されず、村の方々の健康改善効果は今ひとつでした。井戸・トイレの利用が健康や衛生に寄与することを啓蒙することで、積極的に利用されるようになり、健康、衛生状態が改善されたとのことでした。
農村部では、子供の教育に対して冷めており、特に女子には不要であるとの考えが支配的である。農民の子供は農民になる、農村の女の子はお嫁に行くので教育は不要と考えられており、教育を受けることが子供の様々な可能性を伸ばすことになることを啓蒙されたそうです。寄宿舎生活をしている子を経済的に支援したり、教科書筆記用具を購入できない子には支給し、遠距離で通学が大変困難な子には自転車を支給したりと、それぞれの子供の状況に応じて心配なく就学できるように支援されたとのことでした。
ポルポト政権による大量虐殺が行われたのは約30年前ですが、特に親族間での密告が悲劇を助長し、深手となって今も心の傷として残っているとのことでした。
社会環境が整備され、年月の経過は、遠く離れた人間には復興されているように感じますが、しかし、カンボジアに住む人の心は、今も傷ついていることを知り、神様にとりなしを祈らざるを得ませんでした。

基調講演と現地報告の合間に、教会学校の子供たちが、「この星に生まれて」、「一緒に歌おう」を振り付けつきで賛美し、最後には参加者と共に賛美し、一翼を担いました。
また、今年も、国際協力に重荷を負う阿部兄による鮮魚のチャリティー即売会、さらに炊き込みご飯、スイートポテトのチャリティー即売会が行われました。
今回の基調講演、現地報告を通して子供たちへの教育支援、現地の方々との魂の交流の大切さを痛感しました。
高畠 幸司
あなたがたは、わたしが空腹だった時に食べ物を与え、のどが渇いた時に水を飲ませ、旅人だった時に家に招いてくれたからです。それにまた、わたしが裸の時に服を与え、病気の時や、牢獄にいた時には見舞ってもくれました。
(マタイの福音書25章35~36節)