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【大阪事務所】

2017年01月17日

阪神大震災から22年「大震災に見た"共生"の原点」

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 阪神淡路大震災から今日で22年。当時、JIFHは8つの教会を拠点として緊急支援物資の配布、ボランティア派遣、子どもケアプログラムなどを実施しました。第66号~68号(1995年3月~7月)の飢餓対策ニュースを読んでみると、当時の様子を伺い知ることができます。※当時の飢餓対策ニュースは2か月に1回の発行
 その中から実際の記事を紹介いたします。

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大震災に見た"共生"の原点

 1月17日未明、阪神地方を襲った大地震は、5千名以上の死者、十万戸以上の家屋倒壊、約三十万人が避難生活を余儀なくされるという大きな被害をもたらした。

 このような中で多くの人が語ってくれたことは、自分の家も倒れ、九死に一生を得た人々が、危険をも顧みず生き埋めになっている人を助けたということであった。かなり大きな余震が予測される中でのことである。その方々は、自分の安全を確保することなどはさておいて、危険も覚悟の上で行動されたのである。瞬時に"共に生きる"生き方を選択なさった事実に深い感動を覚えた。また、生活物資を無料で配布した際も、他の被災者のことを気遣って、自分は少ししか受け取らない人々の姿にも共通するものを見た。

 さらに嬉しかったことは、被災者の方々のことを心配して、バングラデシュやモザンビーク、フィリピンなどの、いわゆる貧しい国の多くの人々から、当機構を通してお見舞が届けられたこと、そして彼らの中からボランティアとして実際、日本にまで来て、震災復興のために働いてくれた人々も多くいたということである。

 このような心が、世界をひとつにしていくのではなかろうか。

(飢餓対策ニュース66号1995.3 巻頭言)


拠点となった被災教会の牧師先生へのインタビュー(一部抜粋)

 教会員がかなり広い範囲から集ってきているので、その人達の消息をつかむのに一週間以上かかりました。電話も通じず、交通規制されていて入って行けない、そういう地域がかなりあって、あそこは大丈夫だろうと思っていたら家がだめだった、亡くなっていたとか・・・。いろいろありました。


 地震が来て揺れ出した時、私の体の上に色々な物がドンドンと落ちて来て、それをかぶりながら、瞬間的に思い出したのは、アフリカの砂漠で裸の子どもが石を食べている姿。「ああ、私の上には落ちてくるものがある。日本は豊かなんだ」と再認識しました。


 地震の翌週から、近所を一件一件訪問して話を聞いたりする活動を始めたんですが、そのなかで、「今はみな親切だけど、半年もしたら私なんて見向きもされなくなるだろう。その時また来て欲しい」とおっしゃった方がいたんです。だんだん地域も復興していって、避難所もまとめられて小さくなっている。でも残された人々にとって、例えば入院していて隣のベッドの人が退院していくようなもので、誰かが普通に戻っていくと、その苦しみはむしろ増えていく。イエス様の姿とは、そういう残された人と最後まで歩む姿ではないかと思うんです。

(飢餓対策ニュース67号1995.5 被災教会インタビュー)

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