ハンガーゼロ アフリカ」とは

伊東 綾

2015年01月10日

震災の記憶

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2015年も10日が過ぎました。
「お正月ボケ」もそろそろ抜けてきた頃ではないでしょうか。

私も年末・年始は自宅で過ごし「正月太り」を何とかせねば
とただ今ウォーキングを実施中です。

お正月中は、興味の引くテレビ番組もなかったので、
映画や録画していた番組を楽しみました。
その中の一つに、あの日の気仙沼の出来事をドラマ化した
番組がありました。(2014年3月11日 NHK総合)

気仙沼中央公民館に避難した幼児71人を含む、446人の救出劇を
描いたものです。
津波が押し寄せ孤立化した公民館を、火の海が取り囲みます。
連絡手段のない中を、公民館に避難していた
障害児施設の内海園長の息子さん(英国在住)が、
ツイッターを通じて拡散した情報が、猪瀬東京副知事(当時)の目に留まり、
東京消防庁のヘリコプターが翌日現地に赴いたという実話です。

そのドラマの中で、保育園の卒園式を控えオルガンが壊れたために、
障害者施設にオルガンを借りにくるという場面がありました。
(実際には、オルガンが壊れたのかどうかは分かりませんが)

保育園の園長さんの
「一昨日(3月9日)の大きな地震でオルガンが壊れてしまったの。
貸してもらえないか。」というセリフです。

私は震災前から仙台に住んでいますので、
2日前の3月9日の地震(震度5弱)も、1ヶ月後(4月7日)の地震も経験しています。
ところが、このセリフを聞くまで、3月9日に地震があったことを
忘れてしまっていたのです。その事に自分自身が少しショックでした。

「あの日」以前のことは、ほとんど記憶していないのだと気付きました。
きっと「日常の繰り返し」であったからでしょう。
現地で生活している私でさえ『忘れていく』のであれば、東北から離れた
県外であれば、なおさら『覚えている』のは難しいことだろうなと感じました。

それでも、1000年に一度と言われた地震、津波、原発を
忘れるのではなく『教訓』にしていかなければならないと思います。
3月11日にどんな事が起こり、その後一人、一人がどのように行動したのか。

私の本棚には、震災支援に携わり活動された方々の書籍が並んでいます。
著者は、頻繁に顔を会わせる支援活動の良き協力者の方々です。
それぞれが、3.11をどう乗り切り、どう対応していったのか。
悩みながら、悲しみながら、壁にぶちあたりながら、懸命に活動したことが
記されています。

IMG_9036.jpg

2か月後には、東日本大震災から丸4年が経過します。
震災の爪痕が消え、被災地は、復興に向けて進んでいます。
10年後には、大きな地震が沿岸部を襲ったことが分からない
ほどに、新しい街並みが形成されているでしょう。

人間は、忘れていくことで、次の事柄を記憶していくとも言われています。
記憶として忘れてしまったとしても、記録として残しておくことは
できます。

次の世代の人たちが、自然災害で命を失わないための
備えを、過去の私たちから学べるようにと願っています。

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