ハンガーゼロ アフリカ」とは

吉田 知基

2013年12月04日

また明日/フラワーカンパニーズ

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「誰でもきっと
 出来ればずっと
 泣きたくないもんなぁ」


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先週、フィリピンより帰国し、明日12月5日から再びフィリピンへ向かいます。

1回目の現地調査(11/14~28)でセブ島北部やバンタヤン島、レイテ島、
サマール島を見てまわりました。

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【写真:レイテ島タクロバンの様子(11/22)】


中でもレイテ島タクロバン市の被害は甚大でした。
数人の住民に被災後の状況を伺いました。

「11月8日の台風被災後3日後から1週間は本当に地獄だった。
 政府からの援助がなく、全く情報が入らない状況にあった。」

「周辺には、おなかをすかせた人々が食料や水の奪い合いをはじめた。
 毎晩、ロウソクを囲みながら、不安な夜を過ごした。」

私が現地入りした11月22日には、フィリピン軍や警察が各地に常駐し、
支援物資も行き渡るようになっていましたが、人々の表情は固く、
緊張感や傷跡がいまだに残っているような印象をうけました。

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【写真:サマール島ヘルナニの様子(11/24)】

一方でサマール島のヘルナニ市は、同じように台風と高潮による被害を
受けていたのですが、人々の表情は違ってみえました。

瓦礫の中で遊ぶ子どもやバスケットボールをプレイする若者たち。
私たちに手をふり、声をかけてくれる人。
私が向けるカメラにポーズをとり、「撮ってくれてありがとう」と感謝する人や
「もっと撮ってくれ」と催促する人など。

こちらが戸惑ってしまうくらいに人々の表情は笑顔であふれていました。
街全体に活気があるようにさえ感じました。


しかしながら、キリスト教会のサム牧師の家で避難生活を送っていたエドアルドさん(27歳)が
打ち明けてくれた被災直後の街の様子は過酷そのものだったようです。


彼は、被災後、まもなく死者の埋葬を手伝っていました。
毎日のように遺体を運び、土に埋めていたのです。
瓦礫の上をサンダルで走り回り、3回も釘を踏んでいました。
遺体の中には身元が判別できないものもあったようです。
それらの遺体も身元を確認する前に埋めていました。
大学で一緒に勉強をしてきた友人を失っていました。

「それでも僕は大丈夫。この災害をちゃんと受け止めている。
 でも、お母さんは毎日泣いているんだ。それがつらい。
 家が全部流されたから。」

「被災直後、背中に深い傷を負い、血をたらしながら、さまよう少年がいた。
 遠くの病院へ連れて行くことになったが、その後、彼はどうなったのか分からない。」

「街の子どもたちは心にも深い傷を負っている。
 トラウマ症状が出てきているんだ」


私は彼の話をただただ聴くだけでした。

日中、どんなに笑顔でふるまっていても、
人々の心は悲しみでぬれています。

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【写真左:パンの缶詰のおいしさに感動するエドアルドさん(11/24)】


「サヨナラなんて言葉は
 もう消えてなくなれ
 誰でもきっと 出来ればずっと
 泣きなくないもんなぁ

 言えるかよ 言えるかよ
 今さら青臭い言葉
 笑うんだよ 笑うんだよ
 いつものように今日も」

また明日/フラワーカンパニーズ

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 『光はやみの中に輝やいている。
  やみはこれに打ち勝たなかった。』

(聖書 ヨハネ1:5)

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