ハンガーゼロ アフリカ」とは

太田 留美子

2012年05月24日

沖縄復帰40周年

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梅雨の中休みにある沖縄・・・。

月桃があちらこちらでみずみずしい花を咲かせています。


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【沖縄の植物:月桃(げっとう)の花】


先日は1987年(25年前)に沖縄で観測されて以来の金冠日食が各地で観測された興奮と感動の様子がテレビから流れてきて、こちらも嬉しくなりました。(今回、沖縄は部分日食)。


遡って先週の5月15日、沖縄は日本復帰40周年を迎えました。
1972年(昭和47年)、戦後27年間アメリカの統治下にあった沖縄が日本に返還され、「沖縄県」としてスタートした日です。

宜野湾市にある沖縄コンベンションセンターでは県と政府が共催する式典が開催されましたが、
沖縄の新聞は下記のように伝えました。

(下記一部抜粋)

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―沖縄タイムス―
野田佳彦首相は米軍普天間飛行場移設問題について「抑止力を維持しつつ、基地負担の軽減を進める。普天間の固定化はあってはならない」などと述べた。仲井真弘多知事は政府の基地負担軽減の取り組みに謝意を示した上で、同飛行場の「県外移設」を求めた。

―琉球新報―
野田佳彦首相は「普天間(飛行場)の固定化は絶対にあってはならない。米軍基地負担の早期軽減を誓う」と表明した。仲井真弘多知事は「普天間飛行場の県外への移設、早期返還を県民は強く希望している」と訴えた。

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沖縄県の米軍施設は県土の約10パーセント(約2万3000ヘクタール)。
40年間で約18パーセントが返還されましたが、現在、全国の74パーセントが沖縄県に集中しています。

「普天間飛行場」の移設問題・・・。
早期解決が成されますように願います。


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【普天間飛行場とヘリ】


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【嘉手納基地(飛行場)とF22・F15/2009年8月撮影】


ところで40年前の私はといいますと、

小学6年生でしたm(__)m

日常生活や学校などで、復帰したことによる急激な変化を感じた。
というようなことはなかったような気がします。
貨幣がドルから円に変わりましたが、お金を手にする機会が少なかったからか・・・。

ただ、(学校で?)復帰記念硬貨をもらった。記憶があります。
復帰の翌年開催された「若夏国体」は応援観戦に行ったことを覚えています。

復帰6年後の1978年7月30日、自動車の対面交通が右側通行から左側通行に一斉に変更された「730(ナナ・サン・マル)」のことはよく覚えています。
といってもまだ自動車運転免許を持っていませんから、実際の苦労は分かりませんが大変だったであろうと思います。。。


40年間で沖縄はずいぶんと発展しました。
復帰後、約10兆円もの国の振興予算が投下されたという沖縄(あまりもの桁違いの金額に検討がつかない・・・)。
インフラ整備が進み、現在でもこれでもか!というほど、狭い沖縄に道路の拡張や整備が続けられています。

沖縄が抱える問題は多くあります。
基地問題、公共費依存経済、失業問題など・・・。

40年前に比べるとずいぶんと豊になった沖縄。

東日本大震災から1年以上が経過しましたが、地震、竜巻、台風などの自然災害が次々と起こっています。
世界でも、干ばつ、洪水、食料価格高騰などが起こり、貧しい人々はますます困難な状況にあります。
生きる最低限の食を得ることができないで亡くなっている人々がいることを心に留めてください。

痛みを抱える沖縄だからこそ、他者の痛みに寄り添うことができると思います。

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