ハンガーゼロ アフリカ」とは

中3の頃、右耳の軟骨に針で穴をあけました。
まぁ、今風に言えばピアスってやつを生まれて初めてあけた訳です。
もちろん学校では禁止されていました。
それを知っていながら、人一倍小心者の15歳の少女が恐る恐るあけたのは何か理由がありました。

その頃の小島家の一族は、朝から晩までアリのようによく働いていました。
お母さんもお父さんも共働きで、家族そろってご飯を食べる事なんて滅多にありませんでした。
たまに家族がそろっても仕事の話ばかりで、本当に話したい事はあまり話せませんでした。
そのうち、自分が何を話したいのかもわからなくなりました。
そして自分なりに出した答えは、「私は愛されていないんだ」という結論でした。

元々頭はカラッポでしたが、心までもが一緒にカラッポになりました。
その当時の一般的なグレ方の基本と言ったら、金髪にしたり、モヒカンにしたり、
眉毛を釣り糸のごとく細くしたり、ルーズソックスを超ルーズに履いてみたり・・・
と色々なチョイスがありましたが、ご存じのように勇気のない私は、髪の毛でちょうど隠れる軟骨にピアスをあけて、
自分にできる最大のグレ方で心の隙間を埋めていました。
そしてそれが両親に発信した私の心のSOSでした。



先週までまた被災地に行かせて頂いておりました。
何度行っても慣れる事なんてありません。
いや、絶対に慣れてはいけないんだと思います。
今回もまた色んな出会いがあり、色んな事を考えさせられました。


畑を流されてしまってもその現実を認められず、「今年も美味しい米がたくさんできたよ。」
と嬉しそうに話してくれたおばあちゃん。

「こんなに生きていく事がつらいなら、自分もあの黒い津波に飲まれてた方が良かったのかもしれない・・・。」
と打ち明けてくれたお母さん。

復興祭りで震災前の元クラスメートに会って、楽しそうに笑いながら遊んでいた子どもたち。

震災後から毎日絵日記で自分の気持ちを綴っていた女の子。


基本的に全てのキャパが小さい私は15分被災者の方の話を聞いたらもう心のタンクがいっぱいになってしまい、
欽ちゃんの仮装大賞で得点がぐぐぐーーーと上がって赤いランプまで到達したくらいな感じになって(ワカリマス?)、
そうなるとどうしようもなくなってしまい誰もいない所へ行って15分ギャーンと思い切り泣いて点数を4くらいにまで下げて、
また何くわぬ顔でみんなのいる場所に戻る・・・という事を繰り返していました。


見える形であれ、見えない形であれ、みんな心のSOSを発信していました。
笑顔の裏側にある影
強さの裏側にあるもろさ
そんなものを感じました。



15年前のあの時、私は右耳にあけた空洞をピアスで塞いだところで、心の空洞まで塞ぐ事はできませんでした。
しかし、神様の存在を知りその大きな愛を知った時、心の隙間が愛で満たされていくのを感じました。
そして同時に神様の愛を知った時に両親の大きな愛がわかりました。

「なーーんだ。
うまく歩こうとしなくたっていいんだ。
神様が創られたように、私らしく歩いていけばいいんだ。」

そうわかるようになりました。
あの時は必死で他のもので心の隙間を埋めようとしていたけれど、例え一時的に塞がっように見えても、
そのかさぶたはまたボロリと剥がれ落ちてしまうものなのだとわかりました。



いつの日かSOSを大発信している東北のみんなの心の隙間が、
愛によってピッタリと塞がる日が来たらいいなと心から願います。
・・・と言っても「愛」なんて口にできるほど自分は「愛」なんて実は全然わかりはしないんだけど、
でも神様の愛を知って私の心の空洞が塞がったのは紛れもない事実なので、
この事実をここで声を大にしてシャウトしたいと思います。



今も鏡で右耳の空洞を見る度に何だか照れくさい気持ちになります。
でも同時に、あの時私のポッカリとあいていた心の空洞を埋めてくれた、
神様の愛をもう一度思い出すのです。

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