ハンガーゼロ アフリカ」とは

吉田 知基

2011年01月21日

The scenery seen from a 車窓

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現地視察のため、パキスタンへ行ってまいりました。
滞在中は連日長距離移動だったので、
ほとんどの時間を車の中で過ごした吉田知基です。


そんな車窓から食い入るようにガン見したパキスタンの風景。
人々はにぎやかに街を行き来しておりまして。
そのほとんどが男性です。
ひげを大量に生やした男性。毛の長さも範囲も密度もすごいことになっております。
その一方で目に入ってくる山々にはほとんど木が生えておりません。
完全に禿げかかっております。

パキスタンのとある山

その理由を今回お世話になったパキスタン人のザヒッドさんに聞いてみたところ。

「人々が木を切ってしまったのさ」

「なぜ?」

「料理をするときの燃料として使ったり、家を建てるのに使ったり・・・。」

「苗木を植えたりしないのですか?木がないと大雨が降った時に土砂崩れとかして危ないのでは?」

「確かに危ないけど、切って、使って、燃やして、終わり。植える人はほとんどいない。
 世話をするのが面倒だからね。とても悪いことだけど・・・」


その一方で広い道路に沿うように生えている木。

道路際の木

「これらの木はなぜ切られないのですか?」

「道路に面した木は、人の目にふれるからね。警察にはつかまりたくないから誰も切らないんだ」

しかしながら、それらの木も元気なさげです。幹が切られ、枝が折られ。
中には樹皮まで身ぐるみ剥がされている木もありました。

見ていてとても痛々しく、なんだか木が泣いているようでした。


さらに道を進んでいくと大きなトラックが横を通り過ぎまして。
荷台には大量の木がつまれておりました。
見ると、どれもまだ細い木ばかり。

木材を運ぶトラック

人間の欲深さというか、なんというか。
自分たちの生活のためなら自然をいくら破壊したって構わないという傲慢さ、というか。
そんなことを考えていると、とても情けなく、とても哀しい気持ちになりました。

そうして、ふと日本のことを思いました。
日本の山にはパキスタンで見た山よりもたくさんの木が生えています。
四季折々の山を見て楽しむことができます。
誰も勝手に木を切るようなことはしません。


しかし、それは木を切る必要がないわけで。
木を切らなくても、生活ができるわけで。

木の枝を運ぶ少女

その代わり、電気やガスを私たちは自由に使います。
お金さえ払えば際限なく使える勢いです。

この場合、目に見える形では自然の破壊を感じません。
電気の点けっぱなし、暖房機器の使いっぱなし、水の出しっぱなし、紙やティッシュの無駄使い・・・。
私たちのぜいたくや過剰な浪費によってどれだけの自然が傷ついているのでしょう。

なんだか直接木を切って燃料にすることよりも恐ろしいことのように感じます。
「富んでいる」ということは、「盲目である」ということなのかもしれません。


パキスタン北部の山岳地域の家は本当に寒かったわけで。
底冷えが半端ない感じでした。
日本の真冬に外で寝ているような。

また電気がたびたびとびました。
それに対してパキスタンの人々は不平不満を漏らすのではなく、
ただひたすら心静かに復旧を待つわけです。

山岳部の子どもたち

日本で当然のように使えるもの。
それを当然のように使うのではなく。
世界の貧困の中にある方々の生活を覚えながら、浪費・ぜいたくをつつしみたいと思います。


  『富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。
   なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去っていくからです』

                                  (聖書 ヤコブ1:10)

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