ハンガーゼロ アフリカ」とは

NewsLetter巻頭言

2023年01月01日

[2023年新春VOICE] 平和は平和を作り出す人たちによってもたらされる


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「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい」コロサイ3章15節

先月号で紹介した王楠穎(おうなんえい)さんは、ロシアがウクライナに侵攻した2022年2月24日、ウクライナ北東のハリキウ(ウクライナでは首都キーウに続いて2番目に大きな町)で攻撃を受けました。彼は三日間避難していた地下で爆撃が収まるようにと祈っていました。その間、食事はおろか水を飲むこともできなかったそうです。この三日間はひたすら神様に「この攻撃を止めてください。私はあなたのために働きます」とお祈りをしたと言います。その後、台湾政府が用意したバスに乗ってポーランドに避難することができました。

スタッフのジェローム・カセバが11月にアフリカのシエラレオネを訪問したときにひとりの人に出会いました。彼は手縫いの布製のバッグを通りを行き交う人々に売っていましたが、よく見ると彼の両手首はありませんでした。ジェロームは彼に話しかけ、生い立ちを聞いたのです。彼の名前はエイブラハム。彼がまだ小学生の頃、お父さんが働く町まで遊びに行きました。そこで政府に対する反乱軍の攻撃を受け、お父さんは殺され、エイブラハムは将来自分たちに復讐しないようにと両手首を切断されたのです。

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エイブラハムの心と体に残っている傷は、私たちの想像をはるかに超えるものであると思います。でも彼は、人生に絶望しないで縫製の技術を身につけ、結婚をし、子どもを育てているのです。自分の身体に残っている傷を見るたびに、復讐ではなく平和を作り出すことを考えているそうです。

王さんは4月から6月までウクライナの義勇軍に入り、兵士を運ぶバスの運転手をしていました。しかし除隊をしたその日に、派遣されていた月井サムエルさんからハンガーゼロのために働きませんかとの誘いをもらいました。それから王さんはウクライナに物資を届け、病院を訪問し、難民を日本に送り出しています。ビザ取得のためにしばらく日本にいましたが、クリスマス前にはウクライナに戻りたいと日本を発っていきました。クリスマスを今も攻撃を受け、厳しい寒さと闘っているウクライナの人たちと過ごしたいと思っているのです。

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平和は自然に発生するものではなく、平和を作り出す人たちによってもたらされるものであることを深く考えさせられています。
今年もよろしくお願い致します。みなさまにとって素晴らしい一年となりますように。

ハンガーゼロ理事長 清家弘久

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【沖縄事務所】

2022年12月21日

津波防災を考える


11月5日は「津波防災の日」「世界津波の日」でした。東日本大震災を教訓に津波対策が推進され、内閣府ではその前後の期間において、津波防災の意識の向上と適切な避難行動の定着に向けて、「津波防災の日」スペシャルイベントを開催するとともに地方公共団体と連携した地震波防災訓練が実施されています。
沖縄県でも県内各地で避難訓練が実施されています。少しずつ人々の意識も向上しつつあるように思えます。
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【画像:内閣府(防災担当)より】

一緒に津波防災について考えてみたいと思います。

沖縄県は毎年、台風が襲来する地域で台風には慣れており、備えもバッチリ出来ています。
(ここ数年、本島への直撃する台風がないことが気になるところではありますが・・・)
しかし、地震となると、震度3程度でもうろたえてしまいます。いざというときのために地震の知識や日頃の備えが大切になってきます。

日本列島の南西部に位置する沖縄は、沖縄諸島や先島(さきしま)諸島、大東島などの大小の島々からなり、南北400㎞、東西100㎞もの広大な海域に広がっています。九州と台湾の間1100㎞にわたり、東南方向に張り出して弧状に連なる琉球列島の一部です。フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む場所にあたる「琉球海溝」と東シナ海側の「沖縄トラフ」に挟まれており、東シナ海側には火山列があります。

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【地図:Googleマップより】

*トラフ(trough)とは、細長い海底盆地で、深さが6000mより浅いもの。舟状海盆(しゅうじょうかいぼん)とも。細長くないものは単に海盆と呼び、深さ6000mを超えるものは海溝(trench)という。


地震には大きく分けて、①海溝型地震 ②断層型地震 ③火山性地震 の三つがあります。

沖縄県に被害を及ぼす地震は、主に南西諸島海溝付近などの海域の地震と、陸域や沿岸部の浅い場所で発生する地震と、沖縄トラフ沿いの浅い場所で発生する地震のようです。(地震本部による)
過去の大きな被害は、海溝南部付近にある沖縄県の先島諸島(八重山・宮古)で、1771年に「明和の大津波」に襲われ約1万2千人が犠牲になっています。


2018年、琉球大学や名古屋大学などの研究チームによる沖縄本島南東沖の琉球海溝沿い(海底2地点)の調査で、少なくても長さ130㎞、幅20~30㎞に及ぶプレートの固着域(アスペリティ。実際の地震ではこのアスペリティの領域が周囲と較べて特に大きく滑り、強い地震波を出すとされている)があることが明らかになった。と報告されています。このことから琉球海溝沿いの地域(沖縄を含む南西諸島)においても南海トラフ沿いの地域などと同様に巨大地震や津波が繰り返し起こる可能性があることが指摘されています。


日本では頻繁に地震が起こっています。そして近年に起こるかも知れないと言われているのが、「南海トラフ地震」です。駿河湾から日向灘沖にかけてのプレート境界を震源域として概ね100年~150年間隔で繰り返し発生してきた大規模地震です。前回の南海トラフ地震(昭和東南海地震1944年)、昭和南海地震(1946年)から約80年近い年月が経過した現在、次の南海トラフ大地震が近年中に起こる可能性が高いというのです。

南海トラフでは、愛知県、静岡県、大阪府が特に被害が大きいと想定されているようです。


プレートの模型図
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【画像::気象庁より】

*「南海トラフ」とは、駿河湾から遠州灘、熊野灘、紀伊半島の南側の海域及び土佐湾を経て日向灘沖までのフィリピン海プレート及びユーラシアプレートが接する海底の溝状の地形を形成する区域。


では沖縄県は安全なのでしょうか?

南海トラフの南側には、より深いプレートの溝である「琉球海溝」が沖縄の南を通り、台湾付近まで伸びています。そしてその「琉球海溝」は「南海トラフ」と一つに繋がっていると言われ、
この「南海トラフ」「琉球海溝」が連動する超巨大地震の恐れがあると専門家から指摘されているのです。


南海トラフ


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【画像:気象庁 大阪管区気象台 南海トラフ 地震特設ページより】



南海トラフと琉球海溝


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【地図:Googleマップより 一部加筆】


なんと、沖縄県内の16市町村(名護市、糸満市、豊見城市、うるま市、宮古島市、南城市、国頭村、東村、与那原町、渡嘉敷村、座間味村、南大東村、北大東村、伊平屋村、八重瀬町、多良間村)が「南海トラフ地震防災対策推進地域」に指定されています。

今、一度、津波防災について学び、いざというときにどのように行動すべきか、備える必要があります。
あなたの住んでいる地域は?職場は?お子さんの学校は?ご両親は?
ハザードマップの確認をしましょう。しかし、何処で地震・津波が起こるのかわかりません。

先日ハンガーゼロ・親善大使のゴスペル亭パウロさんが防災落語を通して、地震が起こったとき、トイレの中の場合、お風呂の場合の対応や、備蓄品等についてなど、分かり易く伝えてくださいました。
講演会やセミナーとタイアップし一緒に考えることができるなら!と思いました。

大切な人を守るために、今、できることを!


【避難のしかたの心得(国土交通省より)】

1) 避難は揺れがおさまってから
2) 海や川の近くにいる場合は、すぐに高台や3階以上の建物に
3) 避難する際は、頭を守り徒歩で
4) 隣近所にも声をかけて、みんなで避難
5) 災害時の必需品は忘れずに
6) 避難場所へ移動中は、山崩れや落下物に注意
7) 避難場所についたら、津波がおさまるまで待機

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【大阪事務所】

2022年12月08日

白鞘慧海親善大使のWorld Food Day + Gospel 2022に感動


こんにちは。新人の柳瀬です。
今回初めてチャリティイベント会場で運営のお手伝いをさせていただきました。

「World Food Day Cross Gospel 2022」というタイトルで、世界食料デーを覚え、11月26日に上野芝キリスト教会にて開催されました。当日はスタッフ含め25名の方々が会場に来られました。また、遠方からZoomで参加された方や、Youtube配信を視聴された方がおられました。

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Schanita(シャニータ)さん(アメリカより、事前収録の動画にて)、Gordon(ゴードン)さん、白鞘さんの3人ものゴスペル歌手によるゴスペルとともに、谷口牧師によるピアノ伴奏、そしてZoomや対面で参加してくださったクワイアの皆さんの歌声も聴かせていただける、大変豪華な時間でした!
熱のこもった歌声を聴き、そして喜びをもって歌われている姿を見ていると、本当に心満たされました。コンサートから時間が経った今でも、白鞘さんとクワイアの皆さんが歌っておられたゴスペルが、耳から離れません!

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ゴスペルの後、鶴浦スタッフによる講演がありました。お話の中で、アフリカの支援地、コンゴでのエピソードが印象に残りました。「一人の人が始めた家庭菜園が、いくつもの地域の農園へと広がった」1人の小さな一歩が、地域の人たちの心を変え、また地域の土地を、耕され実りを生む農地へと変えたのです。神様のなさることはAmazingです!

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冒頭と最後に合わせて2回、今年の世界食料ーのテーマ動画(Youtubeで視聴可能!)が流されました。今年から親善大使になられた白鞘さんが書き下ろしてくださった「ぼくらの世界」というテーマ曲が使われています。「ぼくらはこの世界に愛し合うため生まれてきたんだ」という歌詞のように、神様が愛してくださっているこの世界の一人一人が助け合うことを歌っておられ、「自分のできることは何だろうか」という考えに自然に導かれました。

コンサートの終演後は、お茶をいただきながら、出演者や参加者の皆様との交わりの時間を設けていただきました。今回私にとって一番印象深いことは、支援者の方々との出会いです。「知らなかったことが知れてよかったです」「最近ハンガーゼロサポーターになりました!」などと直接の声をお聞きすることができ、本当にうれしかったです。また、ウクライナでボランティアをされていた王さんに、前のめりになるような感じでウクライナのことを尋ねておられる方もおられました。

皆様のたくさんの熱心に励まされる、素晴らしい時間でした。白鞘さんをはじめ奉仕してくださった方々が、事前収録の動画や音声、ZoomやYoutubeなどで工夫してくださったことにより、アメリカ在住のSchanitaさんや遠方からZoomで参加されるクワイアの方々とも、この感謝な時を共有することができました。

今年最後の食料デー大会が、このように祝福された時となったことを、感謝いたします。

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【大阪事務所】

2022年12月08日

インターンシップを終えて


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私は11月からインターンシップ生として5日間体験させていただいた村上 朋壽(ともひさ)です。
大学では主に国際文化学と中国語を学んでいます。

私は元々ボランティア活動に対し興味があり、ハンガーゼロに先輩方がインターンに行っていたことを大学の先生から聞き、ホームページを拝見させていただきました。ホームページを調べてみると、世界の10人に1人が飢餓で苦しんでいる現実があることを知ると同時に私が想像していたよりも飢餓問題は深刻であることに衝撃を受け、飢餓に限らず自分の知識や認識をもっと深めていかなければならいと思い、5日間という短い期間でしたが、今回のインターンを志望しました。

インターン初日、清家理事長から世界の飢餓と貧困のお話を聞かさせていただきました。それはホームページを見ただけではわからないたくさんの学ぶべきことがありました。
事務所には、日本人スタッフだけではなく韓国や中国からのスタッフも働かれていました。そのことは海外の人と話す機会が無かった私にとって、世界の状況を知れるとても良い経験となりました。

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仕事の内容は、ハンガーゼロの支援地の子どもたちからのクリスマスカードや手紙を翻訳する作業をさせていただきました。翻訳する中で支援地の状況を知ることができ、たくさん学ばさせていただくことがありました。

今回のインターンで学んだことの一つは、国際協力の働きは、現地に出向かないとなにもできないというわけではないということで。日本の事務所からも現地の人の手助けになる事をたくさんできるということです。5日間という短い期間ではありましたが全てが良い経験となりました。ありがとうございました!

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田村 治郎

2022年11月11日

2022年8月ポーランド・ウクライナ訪問記 _8回目(最終回)


 翌日ホテルを出発しようとチェックアウトの手続きをしていると、昨夜とは打って変わってマリアさんがさっぱりした顔で「昨日はありがとうございました Дякую за вчора」と挨拶してくださった。子どもたちもぐずることなく、一晩ゆっくり休んで落ち着かれたようです。
 
さて、一路ワルシャワ駅に向かってアウトバーンを疾走。何度かトイレ休憩や昼食を挟んでのドライブです。マリアさんの2人の子どもは、兄ドミニク君2歳、妹サラちゃん1歳。とてもお茶目で可愛い2人。王さんにもよく懐いていて、休憩したパーキングに広がる芝生を、まるで親子のように走り回っている姿は、旅の疲れを癒してくれる1コマです。
 さあ、そこから一走り6時間ほどで到着です。名残惜しいのですが、ここでマリアさん親子とはお別れです。彼女たちはここからさらに列車に乗って親戚を頼って西部の町まで行かれるとのこと。旅路の安全とご主人の守りを祈りお別れしました。

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「ドミニク君、サラちゃん」


 私たちが宿泊したWarsaw Westin Hotelは、国からの支援をいただいて客室の半分をウクライナ難民の方々の避難所として解放し、残りで通常営業しています。このホテルの駐車場にあるウクライナ人教会で「ぜひコンサートをしてくれ!」と、牧師に懇願され、この時すでに森さんも私もコロナの症状が出始めており、発熱と喉の痛みを感じていましたが、「このために来たんだから!」との森さんの情熱にしばし熱も痛みも忘れてコンサート開催です。岡さんはこの時も音響を担当してくれましたが、まだ熱は下がり切っておらず、いくつか記憶が飛んでるようですが、そこはプロ。しっかり仕事はやり切ってくださいました。ミニコンサートとなりましたが皆さん喜んでくださったことは言うまでもありません。コンサートの中で王さんが思わず「ゆりさんがCovit19になりました」と言ってしまいましたが、コンサート後には誰一人躊躇することなく、感謝感謝のハグの嵐でした。

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「ワルシャワ・ウクライナ人教会でのコンサート」


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「ワルシャワ・ウクライナ人教会の皆さんと」


 岡さんの症状も昨日と比べて少し回復したようで、オヤジ特有の「病院は行かない」と駄々をこねていたのですが、森さんの「病院に行きなさい!」との母の一声で、無理から引きずるように保険契約指定の病院へ診察してもらうことに。診察手続きのため病院の受付で保険契約証を見せても、「そんな保険会社は知らない」とあっさり言い放たれて、キャッシュレスとはなりませんでしたが、そこは旅につきもののトラブル、受け入れ乗り切るしかありません。診察してもらうと脱水症状で、3本ほどとっておきの電解質輸液を打ち込んでいただき、2時間ほど休んでホテルに戻りました。ここまでが当初予定していた1週間の弾丸ツアーです。この後の顛末は、1回目~3回目に報告した通りです。

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「岡さん、点滴の図」


 このブログを書いている今は10月の中旬です。帰国して1ヶ月以上が経ちましたがウクライナの戦況は泥沼化の様相を呈しています。ロシア軍に占領された東部のいくつかの地域はウクライナが奪還したものの、ロシア軍による2日間に及ぶミサイル攻撃で、首都キーウをはじめ、ウクライナ全土の主要都市の火力発電所などライフラインとなるインフラが破壊され、多くの死傷者を出し、戦下の人々はいまだ停電の中厳しい冬を迎えようとしています。核使用も徐々に現実味を帯びてきている状況です。どうぞ、ウクライナに平和が戻りますように。被災し避難しておられる方々が1日でも早く普通の日常を送れますように、祈りの輪を広げてください。私たちハンガーゼロも、さらに支援の働きを継続していきます。皆さんの愛の心を届ける手足として私たちを用い続けてください。
ウクライナの平和を祈りつつ。Миру Україні !

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「左から、筆者、森親善大使、岡さん」


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【大阪事務所】

2022年11月10日

初めまして。新人の柳瀬と申します。


IMG-0770 のコピー.jpg 初めまして。 11月からハンガーゼロの働きに加わりました柳瀬ひかると申します。 神様がしてくださった全てのことは書ききれませんが、ハンガーゼロでの働きに召されるまでのことを短くお証します。 

  私はクリスチャンの両親のもとに生まれ、物心つく前から教会に通っていました。しかし、親の信仰をそのまま受け継ぐことへの違和感があり、「洗礼を受けるのは見識を広げた後、大人になってからにしよう」と決めてかかっていました。そんな頑なな私に、神様は小学生キャンプのメッセージでヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」を通して語ってくださり、命を犠牲にするほどの十字架の愛が、まさにわたしのために注がれているんだということを受け取らせてくださいました。 
 
  ところで、私は中高生の頃から、環境問題や貧困などの、国際的な社会問題に漠然とした興味がありました。高校生の進路選択の際、その関心の源は、小学生の頃家でよく読んでいた「世界と地球の困った現実」であることに気づきました。発行がハンガーゼロということで、その本への出会いも、関心が育てられたことも、神様の導きを感じます。 世界と地球のカバー のコピー.jpg

 そして、KGK(キリスト者学生会)のOBが集う合宿のメッセージを通して神様が語られたことが、私をハンガーゼロに召されていることの確信に導きました。合宿で進路のことを考えるつもりは全然なかったのに、メッセージを聞いている中で、私が握っていた疑問への答えが与えられ、ハンガーゼロの働きに押し出されているような、不思議な体験をしました。  2回のメッセージの中心テーマは、「捧げる者に与えられる神様の恵み」というものでした。第一回のメッセージで、「自分を捧げてしまえば、何かを失う」という不安を抱えていることに気づきました。そのように惜しむ自分を、神様は主の山で礼拝を捧げることに招いておられ、神様を信じて惜しまず捧げるときに、私が考えうるよりももっと良いものを神様が備えておられることを受け取りました。そして、人間的な基準では測れない、神様の備えを期待することができるという平安が与えられました。また、第二回目のメッセージでは、初代教会の人々とパウロの関係を通して、献金を捧げる教会や人々と、主にある働き人のために仕えることを教えていただきました。  

 このようにして、また、日々のみことばの養いによって、私はハンガーゼロの働きに加わることの確信へと導かれました。私の能力や意欲だけでなく、私の弱さをも用いてくださる神様が、すべてを導いてここに居らせてくださっているのだと確信しています。  

 これから皆様さんからのご指導をいただきながら精一杯飢餓と貧困に苦しむ方々のために努めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。 
 -柳瀬 ひかる-
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田村 治郎

2022年11月04日

2022年8月ポーランド・ウクライナ訪問記 _7回目


 翌日もコンサートの予定があったのですが、なんと岡さんが夜中に高熱を発症。症状からどうもコロナでは?熱の上がりようからこれはすぐにポーランドに戻って、ワルシャワの病院に行った方が良いと判断して、大変心苦しいのですがこの後のコンサートをキャンセルさせてもらいました。さて、一路ポーランドへと言いたいところでしたが、やはりウクライナ現地でどうしてもやらなければならない支援があって、シングルマザー家庭への食料配給や、その場でポーランドへの避難の段取りなど、王さんの仕事が残っていました。


 もう一つ大事なミッションは、避難所となっているリビィウの教会におられる1組の親子(お母さんマリアさん、2歳の息子と1歳の娘)をポーランドのワルシャワ駅までお連れするというものでした。

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「避難所となっているリビィウの教会」


身の回りの最低限の生活用品を車に積んで出発と行きたかったのですが、その時はもう午後の3時を回っていて朝から食事をしていないということなので、ご主人とともに近くのレストランで遅いランチタイムとなりました。まだ20代後半の夫婦です。ご主人は出国できずウクライナに残って来週あたり兵役につくようです。


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「マリアさんご家族」


 食事の間もいつものように子どもの世話をしながらも、この後の別れを思うとこちらが食欲をなくしてしまいました。食事も終えていよいよ出発です。若い夫婦の別れ、抱擁しキスもし子どもともハグしながら別れを惜しんでいました。奥さんと幼い子どもたちは安全な場所に避難し一安心だけれど、ご主人はこれから戦場に赴く。この別れは、今度いつ会えるかわからない、そればかりかもしかしたら生きて2度と会えない別れになるかもしれない。傍で見守る森さんも、私たちも涙を抑えることができませんでした。目の前の状況は、このウクライナで一体どれだけ日々繰り返される別離なのか。1日でも早い戦争の終結をその場で祈りました。


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「つらい別れ」

 さあ、これからワルシャワまでノンストップでも10時間以上はかかります。まずは国境へ。ウクライナのシェヒニ国境検問所に続く道には10キロ以上も続くトラックの車列。ポーランドからウクライナに様々な物資やオイルなどを運び込んだトラックがポーランドに戻るには、この国境検問所の通過に3~4日かかるようです。私たちは人道支援レーンでウクライナの出国は割と早く済んだのですが、ポーランド入国には厳しいチェックが待っていました。3時間待ってやっと順番が回ってきましたが、パスポートのチェックと同時に、すべての荷物を車から下ろし、中身をチェックです。兵士のすることですからスーツケースの中身を引っ掻き回すように確認します。問題なくOKが出ましたが、もうすでに夜の10時を過ぎていました。ここからワルシャワまでは時間的にも、何よりも岡さんの容態を考えると無理と判断して、先日と同じホテルに投宿。


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「延々と続くトラックの車列」


しかし、ここで一悶着ありました。今日中のワルシャワ行きを断念したことにマリアさんが激怒。「私は絶対すぐにワルシャワ駅まで行きたい!車で行けないならここから電車かバスで行く!」と断固として折れない。ご主人に電話し王さんも話されていましたが、この時間に電車もバスの便もあるはずもなく、とりあえずホテルにチェックインして岡さんをベットに寝かせて、マリアさんを近くの駅とバスターミナルに連れて時刻表を確認しましたが、それでも怒りは治らない。ちょうどバスターミナルで一晩明かそうとしておられたウクライナの避難民のご婦人がおられ、マリアさんに一言。「ここはウクライナと違ってチケットがないとバスには乗れないわよ」とい言ってくださったことで、マリアさんの混乱した心の怒りもす~と治まり、ホテルで1泊することになりました。これだけを読まれるとなんだかマリアさんのわがままのように写りますが、確かに王さんも困惑していましたが、2人で確認したことは、住み慣れた街や家から離れ、二人の幼い子どもを抱いてご主人とも別れなければならなかったマリアさんの心の混乱や不安は、私たちには計り知れないものだ。私も以前インドネシア津波支援の避難所で、支援者の働きに文句ばかり言って感謝することさえなかった人々のことを思い出しました。でもやはり、極限の中にいてそんな私たちの常識が通じるわけはありません。支援することはその人に「仕える」ことなんだと、改めて思わされた出来事でした。

 さてその間も岡さんはどうなっているのやら。後で元気になってから聞いてみると、ウクライナを出国したことやホテルのベットに倒れ込んだことも、なんと元気溌剌な2人の子ども達、車の中で暴れるわ、ジュースを撒き散らすわ、おしっこを漏らすわと、国境ではボーダーラインを走って越えようとするわ、それはそれは壮絶な状況も、何一つ記憶にないそうです。

 次回はマリアさん一行をワルシャワ駅までお連れしたり、「岡さん点滴する編」を報告します。

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田村 治郎

2022年11月01日

世界規模の「切迫した食糧危機」に対するSmall Action


今年も世界食料デーのイベントが、全国で開催されています。
今私たちに静かに迫るのは、世界規模の「切迫した食糧危機」です。
どう対応して行ったらいいんでしょう。
原因のほんの一部の紹介と、わずかながらの提案です。
少し立ち止まって日常を顧みながら、飢餓と貧困に苦しむ方々へ、手を差し伸べ続けてください。

ーハンガーゼロ 田村 治郎 世界食料デーでの講演から抜粋


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「ミツバチの減少」


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「肥料の高騰」


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「食料自給率」


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「Small action 1」


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「Small action 2」


PDFファイルはこちらからご覧ください。

WFD資料①_ミツバチの減少.pdf

WFD資料②_肥料の高騰.pdf

WFD資料③_食料自給率.pdf

WFD資料④_Small actionn 1.pdf


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【大阪事務所】

2022年10月31日

かけがえのない4年間でした。


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 2019年から4年間にわたってハンガーゼロで働くことができて感謝です。
11月を持って活動から離れて中国に帰国します。

詩篇116篇12節
主が私によくしてくださったすべてに対し私は主に何と答えたら良いのでしょう。

 お教えいただいたことやお世話になったことをはじめ、色々思い出されます。皆さんはいつも親切に接してくださり、教えてくださいました。いろいろなことを考える機会となり、学ばされました。また、長野の洪水災害に行かせていただいた時は初めての緊急支援活動を体験しました。とても素晴らしい経験になり、感謝しています。
海外スタッフの希望で入職しましたが、いろいろと計画をしてくださいましたが、結局、海外に行くことができませんでした。しかし、イザヤ書55章9節、「価値よりも高いように私の道はあなた方の道よりも高く私の思いはあなた方の思いよりも高い。」と書かれています。主は私の思いよりはるかな道を備えて下さると信じます。将来を期待しつつ祈りたいと思います。

 大阪事務所で仕事をさせていただいている間で、特に変革について深く考えさせられました。自分の考え方も大きな変革がありました。以前はメディアが流した一方的な情報しか見ませんでした。現在は多くの情報を見て、自分が考えていくようになりました。また、目の前の事から始めていこうということを改めて認識しました。

 大学の時、自分のために生きるのではなく、主のために生きていきたいと決心しました。そして、マルコ16章15節「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」とみ言葉に導かれました。主のためだったら、どこでも働くことができると改めて教えられました。どこか遠い国に行く、またはどれほど偉いことをするだけではなく、小さなことからでも良いということを教えてられました。

 新年のランディ先生(国際飢餓対策連合総裁)の学びの中で、1つのことに心が打たれました。ランディ先生は新支援地で活動をする時はまず現地の教会と繋がるようなお話をされました。お話が終わって、質問の時間があって、ある方が「もしこの地域に教会がない場合は活動をどうやって始めますか?」とランディ先生に質問しました。先生はもしその地域に教会がなかったら、まずスタッフが教会になるみたいことをおっしゃっていました。それはすごく心に響きました。まず自分から始めて行こう。自分ができることを始めていくことを教えられました。ハンガーゼロのスローガンと一緒です。「私から始める、世界が変わる」です。この先の道は分かりませんが、主に委ねます。祈りつつ歩みたいと思います。

 またいろいろ言い切れない感謝なことがありますが、本当にありがとうございました。

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田村 治郎

2022年10月26日

2022年8月ポーランド・ウクライナ訪問記 _6回目


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「8月16日の行程」


 ポリチャ小学校を後にした私たちは西部の都市リビィウに向かいました。1時間ほどでしょうか、リビィウは人口83万人の大都市で、石畳が広がる街並みの美しさに私たちは目を奪われました。そこで王さんから「これから病院にお見舞いにいきましょう」と提案され、お見舞いの花や果物を買い込んで訪問した先は、タチアナさんというご婦人です。彼女は東部の町からここに担ぎ込まれてきました。自宅の庭で娘さんと電話をしているその時、空襲警報も鳴らないままロシアのミサイルが着弾、その爆発で左足を付け根から失ったのです。右足にも大きな火傷がケロイド状に残り、それが突っ張って今も痛いとのこと。決してきれいとは言えないベットのシーツに座って、私たちのお見舞いを大変喜んでくださった。森さんを横に座らせて、私たちの訪問を何度も何度も感謝されていました。同じ病室にはあと2人のおばあさんも入院されておられ、隣のベットのおばあさんは携帯電話で娘さんと何やら話し込んでいますが、泣いて泣いて何かを訴えているようです。向かい側のベットに横たわるおばあさんは、顔だけ私たちの方に向けて何度も訴えるように話しかけてこられましたが、言葉がわからない私たちはただ笑顔を返すしかありませんでした。いつ故郷に帰れるのでしょう。人生の晩年にこの苦しみを味わうなんて、胸の詰まる思いです。
 


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「タチアナさん


 さて、そこを失礼して今日3回目最後のコンサート会場であるイバノフランコフスクの復活教会へと急ぎます。2時間半ほどの道のりですが、すでに約束の時間に遅れ気味です。30分遅刻して会場に到着しました。なんと入り口には50名以上の避難民の方々が私たちの到着を待っていてくださって、私たちと一緒に会場入りです。とは言えすぐに始められるわけでもなく、小1時間ほど公開リハーサルとなりました。また少々音響トラブルの解決の間、舞台の前説のように私がHungerZeroの紹介やここに来させていただいた経緯などを話し、いよいよコンサートの開始です。他の2回のコンサートと同じ曲目に加えて英語と日本語でアメージンググレイスも皆さんと一緒に歌うなど、楽しいひとときでした。


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「イバノフランコフスク・復活教会でのコンサートの様子」


 コンサートが終わると参加された避難者の数名が前に出て感想を話してくださいました。お1人の婦人は「当初私は避難者を助ける側でしたが、戦況が悪化するにつれ私たちの街も攻撃され、今度は自分が避難者になり、不安と恐れに苛まれてしんどい鬱症状を発症してしまった。でも今日ゆりの歌を聞いて希望を持つことができた。Дякую! ありがとう!」と、笑顔と涙が混ざった輝くような顔で話してくれました。後に森さんは「あの婦人の言葉をいただいて、本当に来て良かった」と、あの言葉によって森さんの中にもあった葛藤が吹っ切れたのだそうです。

 コンサート終了後に、会場となった復活教会の牧師スタッフ方が夕食を用意してくださって、しばらくおいしい食事をいただきながら楽しい語らいの時でした。そこで若い牧師が「明日もここに来て歌ってほしい!」とリクエストしてくれましたが、私たちは帰国のために明日ポーランドに戻らなければなりません。そのことを伝えると、「じゃ、今度はいつ来てくれるんだ?」と熱く熱く訴えられるもので、思わず「では来年!」と答えてしまいました。「じゃ、次回はここだけでなくあそこもあそこでも」とすでにコンサートの予約が。なんとも話の流れで「来年!」と出たことでしたが、でも私たちはもう一度来たい思いはありました。次回は最善のかたちで戦争が終結し、戦後の復興の一場面でお役に立つことができればと願っています。


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「復活教会の牧師スタッフの皆さんと」


 コンサートを終えてその夜宿泊するホテルへ。フロントで手続きと部屋の鍵等の説明を受けて部屋に行こうとした私たちに「もう一つ確認事項です。もし空襲警報がなったら、そこの正面玄関を出て右に行くとシェルターがあるので避難してくださいね」とニッコリ。やっぱりここは戦場なんだと身構えました。幸いその夜は何事もなくぐっすり眠れたのですが、この日から2ヶ月後の10月10日と11日、この美しい都市リビィウにロシアからのミサイル攻撃があり、4つの火力発電所が破壊されました。

 次回は、ポーランドに戻る途上での出来事、特に「岡さん発熱する!」を報告します。

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